会社で仕事をしていると、ミスをしてしまった人が、
「自分の責任ではない」
という信じられない場面を見たことがあります。
指示されたことには責任が伴わない?
「結果がミスに繋がるという事は、想定されていなかった」
「指示ミスだとおもわれる」
開いた口が塞がりませんが、こういう考えで仕事を行っている人は意外とたくさんいます。
もちろんそうでない人もいて、そういった人は30代後半で経営者になっている人がおおいですね。
仕事の実態
何故、こんな思想になるのか、考えてみた。
もちろん、全ての会社でこんなお寒い茶番が行われているとも思い難いが、
開発員が「指示待ち」感覚になっている事が、想定されます。
ゲーム会社の場合は、プロデューサーとディレクターが大体の仕様決定を行う為、プログラマーとグラフィッカーは、必ず指示待ちに陥ります。
こう言った、工程わけがセグメンテーションされてしまっていると、人の心理として、自分の責任範囲は作業した必要最低限という錯覚に陥ってしまいます。
よく考えてみると
例えばゲームであれば、それをプレイする人間が、ゲームのプログラムバグを見つけた時、どの様に思うだろうか?
もちろん、「このプログラム書いたやつ、クソ!」と、考えるはずです。
間違っても、「このゲームのシナリオやシステム構成がクソのせいで、このプログラムにバグが出て、プログラマーが可哀想」などと同情することは間違ってもありません。
社会的責任
ゲームだけではないですが、会社で仕事をしていると、それは、社会に対して何らかの影響を生み出しているということです。
仮にプログラムの仕事をしていたら、それをお金を出して買ってくれる人がいて、便利に使って喜んでくれる人もいるはずです。
同時に、不具合があると、「弁償しろ」と詰め寄られる場合もあり、ここに、責任感が必要になります。
会社の立場は関係なく、作業した人は自分の行ったことに対して責任が生じるという認識が必要ですね。
作業員は、そのぐらいのポリシーを持っていないと、マクドナルドなどの工場事件と同じ結果になってしまいます。
中国の品質が悪い、というよりは、その工場の従業員のポリシーの無さなんでしょうね。
責任が信頼を得る
ポリシーを持っている人は、責任感が生じます。
責任感が高い人は、自分の作業に妥協が少なくなります。
妥協が少なくなると、製品の品質、仕事全体のクオリティが上がります。
クオリティが上がると、ミスが少なくなります。
言われたことしか出来ない人は、ポリシーがないので、上記のほとんどが達成されません。
この違いに気がついた人は、ポリシーを持とうと努力するようになります。
賢明な人の選択
ブログをここまで読んでくれた方ならお気づきだと思いますが、
気付きは、ほんの些細なことです。
責任が持てる仕事をするには、上のロジックを理解するだけでいいのです。
少なくとも、これに気がついた人は、出世するでしょうね。
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