メール文化は現代病

2015年5月10日

テクノロジー 日記

メール見てないんですか? というやり取りが会社で毎日のようにされています。 メールは見ていない方が悪いらしいです。

違和感のあるやり取り

直接話に行っても、 「今さっきメール出したので読んでおいてください」 目の前に相手がいるのに、返事はメールでって、 まるでコマーシャルの手法で、続きはwebで、というアレを思わせる。 遠隔地で働いているわけでもなく、 長文でとても口で説明しきれない文章でも無いだろうに、 とてもじゃないが、このやり取りに毎日とても違和感を感じる。

テキストコミュニケーションて成立するの?

最近の学生はみんなツイッターやフェイスブック、LINEなどで伝達しているようだが、どのくらい成立しているのだろう? 僕が古い人間だからかもしれ無いが、とてもテキストだけだと、心もとない。 相手に対して、少し悪い文面だと、話したり電話したりして、こちらの本意を直接話さ無いと、相手の受け取り方がわからない。 もしかして、絵文字やスタンプで、カバーされるものなのか?

人の目を見て話せない人

メールを見ようが見ていまいが、「勘違いしてた!」と言うことは良く起こっているようだ。 メールやテキストに頼っている本当の理由は、話すのが面倒臭く、当たり障りの無い文面で送りたいのでは無いかと考えられる。 でも、彼らが、「メールの方が後で読み直せるじゃ無いですか」と行ったことにも一理あると、考えた。 彼らなりの言い分なんだろう。 話ができない事は棚に上げておいて、少しの正攻法を押し通す、現代風のアルアルあのかもしれない。 ログが必要なら、録音すればいいのに

メール禁止曜日

どこの会社か忘れたけど、メールを打ち込んでいる時間をロスタイムと考えて、社内コミュニケーションを重視するあまり、メールを一切禁止する日を作った会社がありましたね。 その後、どういう成果があったか知りたいんですが、10人ぐらいの会社なら効果あったかもしれませんが、 桁が違う社員数の会社だと、それによるトラブルは計り知れないでしょうね。 でも!僕はその案、大賛成派です。 こういった思い切ったことが出来る環境こそが、いいと思います。 ということで、メールを見てないのが悪ではなく、メールのタイトルで読み飛ばされる方が悪だという社会になって欲しいですね。