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子供の頃、親父とよく将棋を打っていた事を思い出しました。
でも、親父には一度も勝つことができないまま、今年13回忌を迎えます。
そして、そんな親父との将棋の思いでは、負けた事だけではなく、将棋を指していた時の親父が言っていた将棋格言ではないかと最近気が付きました。
ネットで調べてみたら、将棋格言がまとめられているページがいくつかあったので、リンク貼っておきますね。
将棋講座ドットコム : 将棋の格言一覧
Wikipedia : 将棋の格言
将棋タウン : 将棋格言集
横浜やんけ将棋道場 : [将棋初心者講座] 強くなりたい方のための格言集
将棋格言とは?
将棋をやったことがない人、知らない人にとっては、将棋格言なんて小島よしおぐらい、そんなの関係ないと思います。
でも、将棋をやっている人は、将棋格言を聞くとなんだか品の高い会話のようにも聞こえるし、ヘタ打った時の、自分への戒めのようにも感じます。
個人的に思うのは、将棋の格言は、将棋の盤上の話だけではなく、人生における教訓のように言われるケースも多いので、非常に人生勉強になんじゃないかと・・・
「
将棋の格言に学ぶ81の生きるヒント」という書籍が出版されていることを考えると、将棋を知らなくても関係していることも多いのではないかと考えられます。
将棋を知らない人が、これを読むと、将棋を覚えたくなるのかもしれませんけどね。
お気に入り格言
やっぱり、親父に言われた将棋格言は、数十年経った今でも頭の中に残っていて、個人的な人生格言としても頭に浮かんできます。
王より飛車を可愛がる
未熟な手でもありますが、「王手飛車取り」という状態の場合に、初心者は、飛車を逃がしてしまう場面が多々あります。
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要するに悪手なわけですが、王手に気がついていなくてうっかり飛車を逃がしてしまうというおっちょこちょいに言う言葉ですね。
桂馬の高跳び付の餌食
桂馬は1コマ飛び越えることができる、将棋の駒の中でも、とびきりトリッキーな駒です。
歩に比べて敵陣に早く入ることもできるので、成金を狙ってどんどん駒を進めていると、格下の歩に容易に取られてしまうという格言です。
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調子に乗るなという例えで使われるケースが多いようですが、かなり上から目線で見下されるように桂馬を歩で取られた親父のしたり顔が、今でも鮮明に思い出されます。
歩のない将棋は負け将棋
将棋における歩は、戦争で言うところの歩兵の意味です。
多くの戦場で、一番数が多いのは歩兵であり、その数により優劣が判断されます。
将棋においても、歩を取らせて飛車角などの上位駒を取得する手法はありますが、手持ちも含めて、歩を持っていないと、すごく不利な形勢になりがちだという事です。
大きな事を成し遂げるには、歩兵のような小さな存在が積み上がっているモノだという事で、コツコツ継続することの格言なんだと理解しています。
別の言い方をすると、「格下の者を馬鹿にすると、しっぺ返しをくらってしまうよ」とも考えられますね。
あとがき
学生時代に、友達と、ボール紙をコマに見立ててくり抜いて作ったお手製将棋で遊んでいたこともあり、
ファミコンがまだ世の中にない時代に、よく将棋をしたことを思い出しました。
勝った負けたで喜んでいた低学年の時期と、よりカッコいい将棋格言を言えるかどうかという色気づいた中学生ぐらいの時の気持ちを思い出しました。
最後に「俗手の好手」という格言、これはビジネスにも活かせる個人的に好きな言葉です。
洒落た打ち手よりも、誰にでも思いつく手の方が好手であることのほうが多いという意味で、奇をてらうよりも、着実に安定した定石の方が大事であるという例えです。
簡単に言えば、難しく考えすぎずにシンプルに考えるほうが圧倒的に良いことが多いという事。
人生格言として、自分の好きな将棋格言を1つ見つけて方が、なんかちょっとオシャレかもしれませんね。
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