知識ってもっていて困るものではないです。
豊富にあればあるほど、人生が豊かになります。
他の人からもらえるものならもらいたいと思ったら、他の人から色々な話を聞けばいいだけだし、
本をたくさん読めば、偉人や知識人の知識をたくさん取り込むことはできます。
この間面白い話を聞きました。
「知識の量は疑問の事に比例して大きくなる」(自分なりに言葉を置き換えてます)
これについて非常に納得がいったので、ブログに書き残しておきたいと思います。
知識の量と疑問の量について
知識って、自分の目で見たり聞いたりして蓄積された記憶です。
【知識】
ある事柄について、いろいろと知ること。その知りえた内容。
「電気の―がある」
1. 知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容。
「日々新しい—を得る」「—をひけらかす」「予備—」
2. 考える働き。知恵。「—が発達する」
3. (多く「智識」と書く)仏語。
㋐仏法を説いて導く指導者。善知識。
㋑堂塔や仏像などの建立に金品を寄進すること。また、その人や金品。知識物。
㋒対象を外界に実在すると認める心の働き。
4. 《knowledge/(ドイツ)Wissen》哲学で、確実な根拠に基づく認識。客観的認識。
参考 : Goo辞書
一方、疑問は自分が不思議と考えて答えが見つかっていない事柄です。
【疑問】
意味や使い方、類語をわかりやすく解説。
1 うたがい問うこと。「—を発する」
2 本当かどうか、正しいかどうか、疑わしいこと。また、その事柄。
参考 : Weblio辞書
とある学者さんが、「知識が増えた時に、同時に疑問が増えていく」という話をしていて、
その学者さんは、知識の量と疑問の量は比例するため、疑問が多いほど知識が深くなるという相関関係に気がついたそうです。
なんか、コレ、メッチャおもしろい!!!
知識レベルの三段階
確かに知識が深い人は、自分が無知なことをよく知っていると言います。
英語の勉強をしている時に、留学などして外国語をペラペラ喋ることができる人に、「英語上手ですね。」というと、必ず「私なんてまだまだですよ」と言い換えされてしまいます。
また、エンジニアで有名な「チョットダケデキル」という言葉も、LinuxセミナーでLinux開発者が彼を知らない人から「分かりますか?」という質問に対して、「チョットダケワカル」と答えた出来事も、同じような疑問の量が多い人の口癖になりがちだということがよく分かります。
そして、この知識と疑問の相関関係には、次の3段階が存在するようです。
レベル1. 完全に理解した
レベル2. なにもわからない
レベル3. チョットデキル
レベル1. 完全に理解した
プログラミングを始めた時に、チュートリアルを一巡した状態で、
その書籍やチュートリアルの中身がよくわかった状態。
レベル2. なにもわからない
完全に理解したと考えた後で、同じプログラム言語や環境などで、自分の知らないことが出てきた時の状態。
レベル3. チョットデキル
神レベルにITを理解している人の事を指す言葉。
または、自分でレベル感を謙遜して言う言葉。
知識と疑問の相関関係
人は何か難しい技術や課題を自分で理解し、突破することができた時に、レベルアップを感じる生き物です。
そして、狭い範囲で理解した場合、多少の疑問はあるかもしれないが、疑問の量が少ないために、理解度が高いと錯覚してしまいます。
本人は自分が見ている領域が狭いことすら気がついていないために、完全に理解できたと思いこんでしまうんですね。
領域が広くなるほど、知識の幅が増えますが、疑問の幅も大きくなる事がわかります。
もちろん、全ての事を疑問に思うわけではないのですが、疑問に感じる領域も広がるために、好奇心が高い人ほど疑問点が増えるようです。
あとがき
何かを極めようとやればやるほどその物事が深いことに気がつくというのは、疑問が増えている状態であり、同時に知識も領域も増えているという状態です。
この疑問が少しでもあると、物事が複雑に思えて嫌になってしまう人がいるようですが、一方でこれを楽しめる人もいるようです。
そう考えると、物事に対する疑問って何だか魅力的にも思えてきますね。
何事にも懐疑的な味方をするのではなく、子供のように、「なぜなぜな〜ぜ??」「これな〜に?」「どうしてこーなるの?」の思考が、大人になっても続く人でありたいな〜と改めて思いった今日のブログでした。
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