毎日何かを頑張っている時、
一生懸命に何かの作業をしたら、自分は頑張ったと認めてもらって褒めてもらいたくなりますよね。
忙しかった仕事を終えた時に、フとそんな事を考えました。
そもそも、物事を頑張るとはどういう事なんだろうか?
そんな疑問も踏まえて、頑張ることについてブログに書いてみたいと思います。
辞書に書いてある「頑張る」
がん‐ば・る【頑張る】
1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して—・る」
2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我 (が) を張る。「—・って自説を譲らない」
3 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が—・っているので入れない」
[可能]がんばれる
参考: https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E9%A0%91%E5%BC%B5%E3%82%8B/
なるほど〜、やり抜くことが頑張るということは、途中で諦めてしまうと頑張っていないという事なんですね。
あとは、その場にとどまっていたり、我を通すような少しネガティブに感じる要素もあるのか〜〜〜。
自分の考えていた頑張るは次のようなイメージだったんですよね。
1. 強い意欲や努力
2. 忍耐力
3. 目標達成への集中
4. 困難を乗り越える
どれもポジティブなイメージなので、頑張るって前向きな行動という印象だったんですが、言葉って両面を持っていることが多いので、一概に考えてはいけないという事ですね。
人が認めるガンバり方
そもそも、しょーもない作業をやっただけで、汗もかいていないのに頑張った感を出す人いますよね。
もちろん、自分による演出は大事なのかもしれませんが、もしかしたらその人にとっては、本当に最大に頑張ったのかもしれません。
頑張るレベルというのは、人によって尺度が違うという事なんですよ。
「今日はジョギングで3キロも走った」と言う人と、「今日はジョギングで5キロしか走れなかった」と言う人で、
前者は頑張ったけど、後者は頑張っていないように聞こえますが、グローバルな尺度では、後者のほうが頑張っています。
でも、前者は毎日ジョギングしているわけではなく、やったとしても2キロ程度が限度だったのに対して、毎日10キロほどのジョギングをしている後者が今日はサボってしまったという場合のサンプルと考えると、
その人によって頑張る尺度というのが違っているのは明確です。
他人の目を気にするのであれば、他人が聞いて「頑張ったね」と言ってくれるような尺度を知っておくというのも重要かもしれません。
え?
そもそも、ジョギングをすること事態がすごいって考えた人、相当尺度が低いですよ。
他人に認められてなんぼ?
頑張っている人って、無条件に褒め称えて上げたくなりますが、多くの場合他人の頑張っているかどうかって、即座にはわかりませんよね。
仕事で隣の席に座っていた人が、次の日に昨日頑張ったことを言ってから、忙しそうにしていたのは知っていたけど、頑張ったことを後から知ることがあります。
てことは、忙しそうにしているだけでは、頑張っているようには見えないのかもしれませんね。
でも、他人に認められたくて頑張るという風に考えていると何だか下心があるように思えて、頑張っているようにも思えなくなります。
頑張っている事実はあるのに、頑張っていると思われないって何とも悲しい事です。
そもそも頑張っていることを他人にアピールしようなんて考えること事態が、頑張っていないように思われてしまうんですよ。
自分が一生懸命頑張ったという事実だけがあればそれで良いと思うんですよね。
いい環境にいれば、必ず誰かがあなたが頑張っている事を理解しているハズ。
何を持って頑張る?
汗水垂らしている人を見たら、頑張っているように見えるのは単なるまやかしかも知れません。
シンドい時に他人から「頑張ってるね」とか「頑張ったね」と言ってもらえると、何だか疲れたカラダもココロも一式吹っ飛んでしまう経験をしたことってあるんじゃないでしょうか?
そうなんですよ。頑張った自分を他人からねぎらってもらうと、疲れが無くなり、気分が良くなるという、魔法のコミュニケーションが見つけられるんですよね。
ドラクエで言うところの「ベホイミ」、ドラゴンボールで言うところの「仙豆」、ファイナルファンタジーで言うところの「ケアル」や「エリクサー」。
なんだか魔法と言っても過言ではなさそうです。
一生懸命に頑張ることで、あなたも、魔法使いになれるかもしれませんね。
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