自分で何かを作った時に、毎回「コレ完璧!」と満足感を得ますが、他人に見せて完璧ではないポイントを指摘されてメチャ凹む経験ありますよね。
笑いながら、「ですよね〜」と言いながら心のなかで泣いてしまう自分のために、
「完璧でなくて良かった」と考えるようにしました。
別に自分で自分の作ったその作業に対してのねぎらいの意味での「完璧」という自画自賛は、それはそれで心の安定に役立ちますが、それを他人からへし折られるのがとてもダメージが大きいんですよね。
自分で思って自画自賛
この自画自賛って「自分で考える分には勝手だろ!」と考えてもいかもしれませんが、少し思考の方向性が危険になる可能性もあるので、注意しましょう。
まず、自画自賛して満足することで、脳の中では、βエンドルフィンという物質が分泌されるようです。
参考 : β-エンドルフィン(べーた-えんどるふぃん)
脳内麻薬と呼ばれるこのエンドルフィンという物質は、美味いものを食べた時などに発生し、ストレス軽減にもなるので、うまく扱うと心の安定には不可欠な物質なんですが、危ない側面も多くあります。
例えば、自分よりも弱い立場の人を攻撃する
○○ハラスメントを行う時に、人の脳の中ではこのβエンドルフィン物質が分泌されているのだそうです。
他人を攻撃して、その人が困ったり弱っている姿を見るのが快感に感じてしまうある種病気のような状態ですが、薬物で快感を得る思考と似ていますね。
こういう悪い事を自分の快感に感じてしまうと、もはや歯止めが利きません。
脳がβエンドルフィンの分泌を欲してしまい、悪いとは分かりつつ、それを実行してしまう衝動に駆られてしまいます。
そんな犯罪行為まで行かないにしても、自画自賛は、自分の間違ったことを認めたくない思考を助長してしまいがちな一面があるので、他人の助言って真摯に受け止めるという思考も重要なんですね。
凹むけど、次の自分のステップを記してくれたと感謝する気持ちが持てるかもしれませんね。
他人からもてはやされて天狗状態に陥る
自分が完璧なものを作ったと思った時に、他人から称賛されてしまったらどうでしょう?
もはや天狗状態になるのは間違いないですよね。
絵画を描いたり、小説を書いた時に、称賛されたら、周りから「先生」と呼ばれ、
誰かを助ける内容であれば、「神様」と呼ばれ、
同じことをしている人がいない場合は、「仙人」と呼ばれガチです。
この天狗状態になると、人は成長がストップしてそれ以上先に進むことができなくなるので要注意です。
他人から称賛されているのだからそれがゴールということで納得できるのであればいいのですが、
その後「一発屋」として呼ばれる事になるのは、この思考の先なので、改めて人は死ぬまで脳の成長を止めてはいけないということがよく分かりました。
完璧が作れないからこその幸福
完璧なものが作れなくてクヨクヨしなくても全然よくて、自分で何が完璧じゃないかを理解できる良いチャンスなんです。
自分に足りていない事、まず何をすれば良いのかを自分で気がつけるって、非常にありがたい事なんですよ。
多くの若者が、「将来自分が何をすればいいかわからない」「この先の未来に希望が持てない」と考えて人も多いみたいですが、
それは何も作らないからなのかもしれませんね。
何かに迷ったら、とにかく何かを作ってみる。
作るとその完璧じゃない何かに気が付けて、そこに面白みを感じることができたらソレが生涯における課題になる可能性かもしれませんからね。
そんな人生の目標が見つけられるって、すごく幸せな事なんですよ。
この「作る」を「アウトプット」にしてみても、いいかもしれません。
あとがき
自分の人生の課題を解決するために、それに属する仕事に就くというのは、ものすごく幸せだし、運がいいと思います。
色々な境遇で自分が思っていた仕事に就けていない人は必ず不平不満をこぼします。
でも、その完璧ではない自分だからこそ、その先に得られるものもたくさんあるし、
もともと自分が思っていた思考も全然完璧ではないですからね。
自分の思い込みが完璧と思っている人も多いかも知れませんが、そのカンペキは、全然不完全だという事に気がついた時がスタートラインなのかもしれませんよ。
完璧ではないあなたが存在する事自体が、幸せな事だと気がついてみると、なんだか今の境遇が楽しく思えてくるかもしれませんね。
え?そんなわけない?
タモさんみたいにズバズバと言ってくれるととても有り難いです。
そうです、このブログも全然完璧ではないんですよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿