赤っ恥をかき続けている、弓削田です。
誰も人前で恥ずかしい思いをするというのは、あまりしたくないのが本音です。
そうした経験をした場合、「あんなことしなければ良かった」と後悔してしまうこともあるかもしれません。
でも、その恥をかいた経験をしたおかげで得られるスキルというのもあります。
起きてしまったことを、リセットすることはできないので、その後にくよくよ悩むくらいならメリットを考えて「恥をかけてよかった!」と考えてみるのはいかがでしょう?
恥はかきたくないと思うほどかいてしまう
恥ずかしいという思いは、多くは自分がやりたくないとか、失敗したくないという思いがあって初めて生まれます。
失敗して当たり前だという事に対して失敗しても恥ずかしいとは思わないのは、そのためなんですね。
では、始めから何事も失敗すると考えてやるというのは、全く前向きじゃありませんよね。
ようするに、恥ずかしいと思うのは、自分が思っているだけで、周囲の人はその失敗をしてしまった人が恥ずかしいという仕草をしているから「恥ずかしがっている」と認識してしまうんですね。
恥ずかしいという感情の特性で、周囲から見られてしまうから恥ずかしいという思いが生まれるので、誰にも見られない失敗は、恥ずかしいとは思わないんです。
良い恥、悪い恥
自分が失敗した事が恥なのではなく、失敗した事を恥ずかしいと感じている自分を見た「周囲が、自分を見る目が恥ずかしい」という事が多くの場合の「恥」に「あたります。
これを気にしない人は、失敗を笑って過ごして、あっけらかんとしている場面を目にしたことがある人もいると思いますが、
テレビでドッキリにひっかかった芸能人があっけらかんとしていたら、番組が成り立たないので、大げさに恥ずかしがっている演技をしているのは、そのためなんですね。
確かに、人の失敗は、笑えるほど面白いと感じることもあるので、自分がした失敗でなければ、笑っていられるのです。
失敗をした時に、自分も自然と笑えるようなココロの持ち方ができると、失敗を悪いこととは考えずに、「次への糧」ぐらいの感覚になれるんでしょうね。
恥はかいても義理かくな
誰でも、自分の人生で、とても人に言えない恥ずかしい思いをしたことがあると思いますが、
「風が吹けば桶屋が儲かる」論で考えると、その失敗があったから、今現在が存在すると考えられます。
恥はいくらかいても、自分が考えるだけですが、義理はかいてはいけません。
これは単なる言葉遊びかと思っていたんですが、社会に出ると義理をかく人は確かに人としてレベルが下に見られます。
恥と義理って、こんなに正反対で因果な関係があったとは・・・考えれば考えるほど奥が深くて不思議で面白いですね。
恥からの成長
恥はかけばかくほど、自己成長につながると考えると、失敗するのが怖くなくなると考えられます。
失敗が怖くなくなると、無謀になりがちですが、慎重さは失ってはいけません。
ビジネスで失敗してしまうと、大きな金の損失が伴ってしまうことが多いので、そういう慎重さはきっちり保ちつつ、人前で多少の恥は、自己成長のレベルアップとして、
ドラクエのレベルアップ音を頭に浮かべるぐらいのお気楽人生って、結構楽しいもんですよ。
もしかしたら、恥を恐れている人も、失敗したら、成長できて感謝する日が来るかもね。
0 件のコメント:
コメントを投稿