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学歴が高くない自分は、偉くないと思っていた、弓削田です。
偉そうにしている人を見るとイラっとするのは、何故なんだろう?と考えていると、
年下の人たちの前で偉そうに話をしている自分に気がついた。
偉そうにしている時って、気持ちがいいということが分かった。
これは、人に対して怒っているのと同じなんだろうな・・・
そして、相手は自分に対して嫌悪感を抱くということも分かった。
「偉い」と言えば、自分の子供が、言葉を覚えたての時に、「偉い偉い」と頭をなでていた事を思い出す。
偉いっていうのは一体どういう事なのか、少し考えてみたくなった。
偉い人ってどんな人?
「個人的に尊敬できる人」って、偉いな〜と思える事を考えると、才能やスキルが高い人を「偉い」と思ってしまうことに気がついた。
あと、「会社や公的に、何かしらの地位についている人」は、一般的に偉い人と言われています。
それから、「単純に頭がいい人」は、無条件に偉いと思えてしまいます。
自分がわからないことを質問した時に、即座に答えが返ってくる人って、無条件に偉いと感じてしまいますよね。
「人があまりやらない事を黙々とやり続けられる人や、定期的に淡々と物事をこなす人」こうした人も偉いと感じます。
ボランティア的な作業や、人に貢献する活動を日々している人なんかでしょうね。
少なくても、自分で自分のことを「偉い」と言っている人には、「偉い」オーラは感じません。
自分で言う「偉い」と人から言われる「偉い」の違い
自分で自分のことを「偉い」と露骨に言う人はあまりいないと思いますが、「自分偉いでしょ」オーラを発している人はしばしば見かけます。
個人的には、何かしらのセミナーに参加した時に、いろいろな書籍に書かれている内容をただ言っていて、ドヤ顔をしている人って、「偉そうにしている」って感じてしまいます。
また、他人を馬鹿にする人って、自分はそれよりも上の立場にいるという事を言っている裏返しであることが多いのですが、
そうした自分を「偉い」と言っている人、そうしたオーラを出している人って、やはり周囲の人から見たら「偉そうにしている偉くはない人」ですよね。
逆に、その人のいないところで、「あの人は偉い」と言って貰える人も一方でいますが、そうした人は、本物の「偉い」ではなかと感じます。
そう考えると、「偉い」って自分で決めることではなくて、人が決めることなのだということがよく分かります。
人から「偉くない」と見られたとしたら、その人は偉くはないということを自覚しなければいけないんですが、本人に直接そうした事を言うことは、まずありませんね。
自分で察することができない時点で「偉くない」のだと思われます。
偉いは謙虚さ
こうした事を踏まえると、「偉い」というのは、「謙虚」と密接な関係があるんじゃないでしょうか?
だって、歴史上で有名な人物って、「偉い」と感じるけど、その人が他の人に対してヒドい事をしたと聞くと、とたんに偉いと思っていた感覚が無くなります。
「偉い」っていい意味でのレッテルであって、その人の他人から見た評価であると考えて良さそうですね。
最終的に、謙虚な人というのが評価されるということも、世の中を見ていると分かると思います。
これがわからない人は、偉くない人なのかな?
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