普通の人の倍速でプログラミングを行う、ユゲタです。
でも、精度は倍にはならないので、非常に雑なプログラムです。
こんな自分でも、自分で作ったプログラムに感動するぐらい「よくやった自分!」と思う時が、たま〜〜〜〜〜〜にあります。
大体において、あまり再利用できないプログラムを作ってしまいがちなんですが、再利用出来た時に、「よし!」と思うんですよね〜
ユゲタの生活において、良いプログラミングがかけるかどうかで生活の自分心理がかなり左右されることがよく分かったので、
今回は自分分解をしてみたいと思います。
ダメなプログラミングを書くと・・・
何かを作る時に、それを早く作り上げたいから、深く考えずにただひたすら、思いついた機能をプログラミングしていきますが、
1次元的に、class - function を並べ立てて、負いやすいけど、とてもじゃないけど良いプログラムとは言えない出来になります。
それをたまに、リファクタリングして、いくつかのメソッドをまとめたり、同一内容のものをclassに分けてそれぞれをまとめたりもします。
実はこれを、最初に設計でやるというのは、個人的には不可能で、一度作ったプログラムによって、得られる、処理のグループングだったり、結果を得るための送り値などが
まとまります。
複雑になればなるほど、「一度作ってみる」という作業が必要になってくるのは、まるでニワトリとタマゴのような感じにも似ている。
自分で納得のプログラムを書くと・・・
会心のプログラムというのは、複雑な処理を、再利用できる形で、1つのメソッドをできるだけ短く出来た時、後で見てわかりやすいfunction名などで書けていた場合に、「よくやった自分!」と自分のことを褒めたくなりますが、
そのプログラムとは別の箇所のプログラムをしていた時に、前に書いた処理でその場所と関連する処理を行いたくなって、前の関数がそのまま使えたり、
欲しいデータが、すでに登録されている関数によって取得出来た時に、「自分なんて未来予知能力が高いんだ!」と感動することができます。
こうして、そのプログラムは、自分の中で正攻法となっていき、その後その方式を自分でなぞっていくようになり、次第に自分ルールが確率していくことになるんですね。
良く出来たプログラムを作った後に起きガチな事
会心のプログラミングが出来た時に、次に起きることは、
これまで書いたプログラムを同じ方式で書き直したくなる
です。
この心理は、プログラムをより良くしたいと考える思考であるため、自分によって非常に前向きなんですね。
そして、書き直している時に、いろいろなエラーが出てこれまでの記述では見つけられなかった不具合が発覚して、改めてプログラミングの構造体の重要性を理解するという経験を、
何故か毎回、新しいサービスプログラムを行う時に体験してしまいます。
これって、自分、成長しているのか?
なにはともあれ、とにかく手を動かしているという時点で何かしらのプラスにはなっていると自分を信じて、今日もプログラムに勤しむ、ユゲタでした。
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