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最近、色々な会社の方から「うちの会社に合うエンジニアいませんか?」と聞かれます。
遠回しに、採用を斡旋して欲しいという事だと思うのですが、
この質問ホントによくされて困っているんです。
だって、おたくの会社に合うエンジニアは、きっと世の中のどこかにいると思うので、「どこかにいますよきっと」と答えて差し上げます。
いや、そういうことじゃなくて・・・という空気になるので、「遠回しに言わずにストレートに言ってよ」と返してあげます。
会社内のエンジニアが足りていないので、補強したいのは分かるが、自分で人探しをせずに誰かに連れてきてもらおうなんてムシが良すぎてヘドが出ます。(言い過ぎました)
ここからが今回のブログの本題ですが、実際にどういう人がその会社に見合う人なのか?という事です。
エンジニアの採用担当者でうまく採用が進められていない人は是非このブログを読んで何かしら思考チェンジのヒントを得てみてください。
会社に見合うエンジニア像
エンジニア0人の会社の場合
スタートアップのIT会社でいままさにエンジニアを探している会社さんの場合、これからやろうと志しているサービス構築に見合うエンジニアを探すと思います。
まだ世の中にないだろうサービスを作ろうとしいているのに、そのジャンルの経験者を探していたりする矛盾に気がついていない人もいて、ヒアリングをすると、プログラミング言語や、技術経験値などにこだわるのではなく、人間性を重視して採用活動をしたほうが良いというケースが過去に多かったです。
開発部門がすでにある会社の場合
技術責任者が採用を担っている会社が多いと思いますが、この場合は十中八九、自分の分身を探そうとしています。
開発責任者の口癖が「あ〜あ、オレの分身がもう一人いればいいのに・・・」と言っている(思っている)ハズです。
この思考、非常に危ない思考なんですよ。
こう言っている人は、実は組織の上部に位置することで支配欲に満たされていて、まるで宗教の教祖になったかのような気分になっている状態です。
自分が絶対正義になり、自分の意に反する人は悪という、勧善懲悪を自分の中で作り上げて、部下はみんな自分の手下と感じてしまう、「支配欲」に蝕まれています。
もしこの思考で採用活動を行うと、優秀なエンジニアという見方ではなく、「自分に従順になれるかどうか?」という曲がった判断軸で人を判断してしまいます。
なので、エンジニアって、採用活動に参加しないほうがいいんですよね。
会社のエンジニア採用について思うこと
エンジニア部門の人に属するので、その部門(エンジニア部門)の人に採用活動に参加させるというのは悪くはないですが、彼らの意見はあくまで参考意見程度に留めておいて、
ちゃんと人を人として採用する活動をすることをオススメします。
エンジニア採用の場合、「優秀なエンジニア」を採用したいとか、「経験3年から5年以上」というワケのわからない、それって3年以上だろ!と突っ込みたくなるような条件を提示しているケースも多く、
優秀なエンジニアの定義なんて論理立てて他の人に説明できないだろうし、経験値が無い優秀な人を排除する無意味な条件であることに気がついていない事が多いんですよね。
では、実際にどういう採用をすればいいのかというと、足切りするためのペーパーテストなどは悪くはありませんが、最も優先する点は人間力以外に無いでしょう。
未経験でも人間力のある人は、会社にとってエンジニアという宝の原石のようなものです。
この人材は、最初は安いコストで採用できて、その人材が成長すれば会社にとっても有益になるし、同時に成長に伴い給料が上がったとしても、本人は給料とスキルが同時にアップするので、人生設計が豊かになるという、誰も損をしない未来構造ができあがります。
これが見越せず、今すぐに社内に足りていない人材を採用しようとしているダケの会社は、必ず採用に失敗します。
オマケに、エンジニアが成長したらすぐに転職してしまって、回転率の高い開発部門になる事間違いありません。
もう一人の自分がいい思考
「自分がもう一人いればいいのに・・・」というセリフを言った人を過去に何人も見たことがあるし、実際に自分もそう考えていた時期があります。
前述した通り、支配欲に満ちたこの思考は、実は色々なアウトプットをするのがめんどくさくて怠ける気持ちを言葉に表しているだけの心理言語なのではないかと思っています。
自分と同じ人がもうひとりいたら(自分の分身とか)何も説明しなくても、自分のやりたいことをやり遂げてくれるから、手間がいらない。
また自分ほど優秀な人が周囲に居ないなんていう、曲がった思考を周囲に遠回しに言っているだけに過ぎないんですよね。
ようするに、このセリフを言っている人を見たら、「怠けたいだけなんだな・・・」と見下してみても構わないという事です。
そして、面と向かって「いるわけ無いジャン!」と言ってあげましょう。
本当にもう一人の自分が世の中に存在していたら
それはもう、ドッペルゲンガーという事になりますが、
本当にもう一人の自分がいたら、その相手は本当に自分が思っている通りの事をやってくれるコピーロボットになりえるんでしょうか?
もしかしたら、そのもう一人の自分のほうが一枚上手で、自分がこき使われてしまう可能性もあるかもしれませんよね。
恐いですね〜。
自分以外は信用できないのではなく、怠けたい事を考えている姑息な自分がもう一人できるわけですから、そうなってしまうのは、必然なのかもしれません。
改めて、自分の足りていない思考を過信しすぎていて、「もうひとりの自分が欲しい」なんて、どの口が言っているのかと考えると、このセリフを言った人、キモすぎて笑えますね。
過去の自分に対して、キモさ爆発ですよwww
もう一人の自分の作り方
なんだか、ネガティブな事ばかり書きましたが、自分を過信することは決して悪いことばかりではありません。
過信は自信にもつながるし、自信は成功への必要な要素でもあります。
そして、もう一人の自分を作る方法というのが、世の中にあるとしたらどういう方法かということを少し考えてみました。
芸事の世界しかり、北斗神拳しかり、「一子相伝」というのが、構成に技術を伝えるもう一人の自分なのではないでしょうか?
昔から行われている古臭い内容ですが、改めてコレって重要な人としての伝聞、伝心、伝技なのだと思いますね。
ということで、もうひとりの自分が欲しいという人は是非、
弟子を取りましょう。
あとがき
弟子というと、なんだか、ダサく感じてしまう人も多いかもしれないので、今どきの言い方をすると、「メンター」です。
ということはメンターである師匠になる人は、メンタリングやコーチングなどのアウトプットして伝える技術が長けていないといけないという事になります。
この能力も定まっていない人が、「もうひとりの自分を欲しがる」なんてちゃんちゃらおかしいですよね。
メンターに付く人の事を、メンティーというらしいですが、能力無いメンターにメンティは一人もつきません。
まるで裸の王様だという事を認識するまでは、メンター自身が成長できないんだと確信できますね。
それでもまだ、「もう一人の自分が欲しい」と考えますかね?
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