
繰り返しと聞くと、無限ループが頭をよぎる、ユゲタです。
毎日の習慣化が苦手という人がほとんどだと思いますが、そのためかどうかわかりませんが、毎日、同じ時間に通勤などで通る道で、
子供の通学の為に横断歩道で黄色い旗を持って子供たちを誘導している、緑のおばさん、
いつも夕方食材を買いに行くスーパーで、駐車場に車を誘導している、警備員のおじさん、
駅前の交番の前に仁王立ちしているおまわりさん、
前を通るといつも元気よく声をかけてくれる、商店街の食材屋のおばさん、
みんな、ほぼ毎日と言っていいぐらいに同じ場所にいて同じ事を繰り返しやっています。
仕事だから当たり前と思った人は、多面化している物事を1面しかみなくて判断してしまうタイプの人ではないでしょうか?
ユゲタはどうしても、この人達をスゴイという一言で考えてしまいます。
屋外で雨の日も雪の日も、夏の暑い日も同じ事を繰り返しやっているんですよ。すごくないですか?
こんなすごい人達に、改めて「街のために働いてくれてありがとう」と言いたいし、
マジで心の底から尊敬します。
尊敬する心のメガニズム
ここで、人は何故人の事を尊敬するのかというと、
憧れと、感動なのではないかと考えました。
上記での人たちに対しては、感謝も加わりますが、少なくても、「自分ではできない」と考えた時に、人はその人の事を尊敬に値する感覚を持ちます。
自分が何かに困っていたら、それを無条件で助けてくれる人に対して、感謝を抱きますよね。
また、困っている人に、手を差し伸べる人を見た時に、その人に対してとてもいい人という、信頼バインドが爆上がりします。
学校の先生が尊敬されるのは、年齢が上というだけや、物を教えてくれるというだけではなく、人としての振る舞いやその人自身の価値観が、ブランディング能力を発揮するからなんです。
そういう時に人は、心の底で尊敬の念を抱き、ある日その人がその場所からいなくなった時に、尊敬レベルがMAXに振り切れます。
実際に、毎日同じ場所にいる間は、その人の尊敬度はMAXにはならないのが不思議なところなんですが、多くの場合継続中は、尊敬レベルが蓄積されていっている状態だと考えられます。
尊敬されたければ同じ時間、同じ場所にいて、同じ事をすればいい
毎日自分の家の周辺だけでもいいので、同じ時間に同じように掃除をするのもアリ。
毎朝会社に1時間早く言って、誰もいない共有スペースや、他の人も含めたデスクの掃除をやるのもアリ。
ネット上でTwitterなどのみんなが集まる場所で、今日の抱負を毎日つぶやいて、いろいろな宣言をするのもアリ。
この時に、ある日突然やらなくなった時に、はじめて毎日繰り返していた自分を見てくれている人に気が付きます。
でも、1つだけ注意点があって、「尊敬されたいからやってます感」を醸し出した瞬間に、このルーティンが全て尊敬の逆に働いてしまうので、
改めて奉仕の精神を持った人である必要がありますね。
最後に
尊敬されたければ、尊敬されるという欲望を捨てなければいけないという、お釈迦の教えのような、思考にたどり着いたところで、
改めて、人は毎日同じ事を繰り返して数閏年生活をする生き物だという事も再認識できました。
そこでは、何をやるか、どうしてやるか、誰のためにやるか、この全ての問いに、自分が関わっていなければ、結構人から尊敬される人になり得そうですね。
でも、コレ難しいですよ。
人は、ほぼ自分主体で動く生き物ですからね。
人のためという事を念頭に置いて日々の活動をするのって、並大抵ではありません。
やはり尊敬される人って、それ相応の思考をしているってことですね。
やはり尊敬される人って尊敬できます。
当たり前やろ!という結論ですが、それだけ人から尊敬されるって、難しいし尊い事なんですね。
ちなみに、毎朝ジョギングをしている時に、決まって同じ場所で、挨拶をしてくれる足腰の悪そうなおじいさん、こんなおじいさんになりたいという思いで尊敬しています。
あれ?なんで年配の人に対して尊敬しやすいんだろ?
今度この謎もブログで考えてみよう!
0 件のコメント:
コメントを投稿