締切に追われる哲学

2025/09/25

仕事 哲学

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eyecatch 人はなぜ「締切」という概念を作り出したのだろうか? 未来に線を引き、その線までに成果を差し出すよう自らを縛り付ける。 その線がなければ、もっと自由に思考できるのか。 それとも、永遠に着地できない迷子になるのか。 締切は、時間を「有限」だと意識させる装置なのかもしれない。

締切の意義

永遠にあると思えば怠けるし、短すぎれば絶望する。 その微妙なバランスの上で、人は走らされる。 面白いのは、締切に追われているときほど「生きている感覚」が強まることだ。 息が荒くなり、心臓が早鐘を打ち、脳はフル回転する。 これって、締切によって、より自分のパフォーマンスが発揮させられているようにも感じる。

争う心理

しかし、それが「生の充実」なのか「消耗の加速」なのか、判別がつかない。 確かに、その締切が切羽詰まって、逃れられない重要性を持っている場合、 「もうやめた」なんていう気軽に手放すことはなかなかできないし、 仕事であれば、そんな無責任なことを言うこともできない。 でも、「逃げたい」という気持ちも「やらなきゃ」と言う心理と並行して存在することに気がついている。

乗り越える正義

いつからか、締切は「敵」ではなく「存在証明の条件」のようにも思えてきた。 もし締切がすべて消えたら、自分は本当に自由なのか。それとも、何をすべきか分からず立ち尽くすのか。 締切に追われる生活は、結局「自分は時間に従う存在だ」ということを突きつけてくる。 逃げたい気持ちよりも、大きな山を乗り越える対峙感の方が上回れば、それはそれで締切も楽しめる面もある。

あとがき

そしてふと考える。 本当に従っているのは時間なのか、それとも「締切を作った自分自身」なのか。 いや、こんな無茶な依頼をしてきた、クライアントが開発原価を抑えたい、利益を出したいと言うための無茶振りなのはよく理解できているので、 本当に対峙すべきは、こうした食い違った思考をしているクライアントなのだということに、ブログを書きながら気がついた。(アホなオレ)

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