レベルは最底辺だという自覚がある、ユゲタです。
人はレベルの違うスキルの人と話すことに、抵抗を持つ生き物です。
同じスキルレベルの人と連みがちというのは、想像しやすいと思いますが、
レベルが上の人に対して、教えてもらうというのは、ありがちですが、レベルが高い人というのは少し怖い感じもありますよね。
何故か人は、自分よりもレベルが低い人に対して、横柄になる傾向があるようです。
ググレカスは典型的、上位レベル思考
「あの人は、レベルが低いから、話す価値がない」
などという会話を、以前いた職場の中で聞いた事がありますが、これはその会社のプログラマーが営業部門の役職者に対して、その人のいないところで言っていた言葉なんですが、とんでもない、勘違いをしていることを本人が気がついていない事に気がつきました。
恐らく、そのプログラマーは、営業活動を仕事で命じられたら、泣きながら教えて欲しいと媚びてくることでしょう。
教えるスキルは、更なるスキル向上をもたらす
プログラミングをする開発部門で、シニアのエンジニアに質問をした時に、ある一定の技術レベルがないと、ワードや仕組みについて知っていると考えた状態で話を進める人がいます。
同じエンジニアでも、当たり前のように、dockerやgithubの機能で話を進めるけど、それを知らないエンジニアからすると、全く話についていけなくなる様子を、何度も見た事があります。
面倒臭くても、説明をする、または、相手が知っているかどうかを確認すると言うことが出来なければ、コミュニケーションはそこで途絶えてしまいますを
会社として考えると、この構図がある場合に、誰も得をしない状態になるので、全くもって生産性が上がらなくなります。
自分の作業だけやれば良いという技術者がいたとしたら、こうした場面は頻発するでしょう。
相手のスキルを理解するスキル
HTMLをプログラミング言語ではないと言うことは、理解していても、webプログラムを勉強しようとすると、必ず初めはHTMLの学習を始めることになります。
そして、意外と奥が深いHTML5の仕様を知る事で、プログラムへの恐怖心がます人もいる中で、Javascriptなどを学習しはじめた人は、挫折する人も多い中、キチンと教えてくれる人も少ないのも事実かもしれません。
ていうか、キチンと教えられる人が少ないということも考えられますね。
人に教えるというのは、やはり、特殊スキルなんです。
学校の先生が聖職と言われるのもわかる気がします。
スキルが高いと自分で思っている人でも、他人にそれを説明するのはあまり上手ではない人には、人は集まってきません。
やはり、丁寧にわかりやすく話して、教えてくれる人に、人は集まってくるので、人生においてどちらを望むかは人それぞれかもしれませんが、人が集まる状態の方が、結果的に満足度が高くなることは、なんとなく分かります。
一昔前の自動車教習所
自転車に乗れる人は、自転車に乗れない人の気持ちを理解できなくなる。
これは、役者がテレビドラマなどで、自転車に初めて乗ったというシチュエーションの芝居をすると、誰もが、ハンドルを左右にグルグルと振り回す演技をしがちですが、リアルな自転車初心者は、そのまますっ転びます。
自転車に一度乗れてしまうと、もう、乗れなかった感覚は一生取り戻すことは出来ません。
別に取り戻す必要はないんですが、その思考は、自転車に乗れない人に対して、見下す人になりがちです。
子供に自転車の乗り方を教えていて、乗れない子供にイラついている親御さんを何度も見た事がありますし、
公園で逆上がりできない子供に対して、イラついているお父さんも、何度か出会った事があります。
イラついた指導を受けた子どもの未来はどうなってしまうのでしょうか?
優しく、粘り強く教えてくれた子供は、きっとその親の姿勢を、一生忘れないでしょうし、教わった人は教えてくれた人には、恩義を感じるのが、人の通常の心理なんですね。
人に優しく接するということは、将来的に自分の未来を明るくする要素でもあると考えると、上位スキルの人が見下す姿勢を見せるその対応は、いかがなものなのだろうか?
未来の自分の首を絞めているだけのようにも感じられますね。
あなたは、知らず知らずのうちに、ググレカスって言ってませんか?
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