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小学校の頃から酒好きだった親父に教えてもらって将棋を指していた。
田舎のため娯楽がなかったという事もあるし、当時ファミコンも発売されていなく、ボードゲームはゲームの王道であった時代である。
将棋はインテリゲームとして今でももてはやされているワケですが、僕が好きだったのは実は将棋を指しながら、親父が将棋格言を言っていた事を
強烈に覚えていて、実はこれが人生において非常に役立っているという事にも今頃になって気がついたので、覚えている限り書きなぐってみます。
wikipedia
桂馬の高飛び歩の餌食
初心者の頃、桂馬の動きはトリッキーで素人ほど動かしたがるが、動かした先に元に戻れない桂馬は結局歩で取られてしまうオチがいつも当てはまり、桂馬を歩でとられる度にこのセリフを言われていたのをよく覚えてます。
歩のない将棋は負け将棋
レベル差のある対局は、コマをたくさん相手に取られるという傾向があり、歩はと金になったら非常に優秀なコマになるうえ、攻めにも守りにも非常に便利に使えるシンプルなコマである事を理解している人は、歩というコマを大事に扱うという皮肉な格言です。
盤面に歩が無くなったり終盤に手持ちの歩がない場合に相手に言われると心理的効果の高い格言です。
受けは金、攻めは銀
定石を学び始めると面白いことに、銀が攻め、金が守りという鉄則に気がつくことができる。
王のそばで守る際に金の動きが非常に有利なことと、攻めの際に斜めに戻ることでの好手に繋がる銀を極めれば、飛車角の飛び駒に頼らなくても非常に上品な手が打てるようになるという噂もあるらしい。
金なし将棋に受け手なし
守りの金が無くなってしまっては、王や玉を守るコマが無いのと同じという事から、SPの重要性を説いた格言のようです。
この格言でよく分かるのは、金を攻撃に使うのはほんとに得策ではないという事なんですね。
三桂あって詰まぬことなし
桂馬は本当に不思議なコマで、戦国時代で例えると、馬に乗った兵士だと思うのですが、基盤の上では、目の前にどんなコマがあろうと、それを飛び越えて2つ先の少し斜め前に進むことができる。
そして、そんな不思議な動き故に、3つも重ねて使えば、相当なトリッキーな攻撃ができるという少し大げさな例えなんですね。
でも、僕の経験では、実際に桂馬の王手連続により詰められた事もあるので、あながち間違いではないかも・・・
先後同型中央に手あり
先手は中飛車が有効と言っているのでしょうか?
中央の手が中飛車だけではないと思うのですが、中央で攻めるのはいささか早打ちになりかねないとかんがえられるがいかがなものか?
俗手の好手
誰も考えない、珠玉の一手よりも、誰もが思いつく知れ渡った一手の方が、いい手になる事が多い事も例え。
名棋譜を覚えておいて損はないという事なのでしょうか?
敵の打ちたいところに打て
打たされる将棋というのは、実は歌されている側は気が付かないものである。
気分よく打ちたいところにコマをおいて行った所、最後の最後に大逆転を食らうというなんとも後味の悪い格言です。
対局に力の差がある場合にこうした事が起きるようです。
手のない時には端歩を突け
端歩は矢倉に弱いとされているが、実際にはどうなんだろう。
確かに手がない場面はたまに存在するが、果たして端歩をどうつけばいいものやら・・・
遠見の角に好手あり
角は、飛車と同じく、長距離選手であるので、基盤の端から端まで一気に移動することができる。
さらに、斜め移動という毒蝶から、視覚から隠れやすい事もあり、遠隔殺法の名手であることは、誰が考えてもわかる。
入玉に負けなし
王や玉が相手陣に入玉することで、相手にとって非常に詰めることが難しくなる事で、とある名人に言わせると、入玉したら無敵の状態になるとのこと。
ヘボ将棋玉より飛車を可愛がる
個人的に初心者の段階では、飛車がとにかく好きで、こっそり「王手飛車取り」という場面で、王ではなく飛車を逃した時に親父にいつも言われて悔しい想いをしたものです。
飛車は、角よりも、進み方がシンプルで非常に初心者が好むコマであることはよく知られている。
初心者を抜けるために飛車への執着心を捨てられるかどうかも一つの階段ポイントである。
名人に定跡なし
定跡ばかりを鵜呑みにすることの戒めなのだそうだが、名人は自分で打ってきた手が定跡になり得るという事なのだろう。
寄せは俗手に好手あり
攻撃は簡単で分かりやすい方が効果があるという事だそうだが、相手に分かられてしまって果たしていいのだろうか?
でも、駆け引きで上を行く場合の多くが、当たり前を行い、誰も疑わない事が油断へと通じ、誰もが見落とす簡単な一手でやられてしまうことは、良くあることのようにも思える。
居玉は避けよ
大将が同じ場所に居続けると負けに繋がるというモノ。
実際に、守りと攻めが必要な将棋は、初心者は守りが手薄になる事が多く、多くは、目先の攻めの手しか目に映らないらしい。
視野を広く、一手でも先を読むことが理解できて初めて将棋の第一歩なのである。
両取り逃げるべからず
例えば飛車と角のどちらかをとられる手を打たれた場合、どちらかを逃がすよりも、別の一手を考えたほうがいいという事。
王手飛車取りの場合は別だが、飛車と角などのような場合、次の一手では何方か1つしかとられないので、逃がす為に1手使うよりも
別の手に転じたほうがいいという、効率優先の格言。
★人生につながる一手
多くの格言が、将棋の戦略に沿ったモノであり、弱いがゆえの皮肉を言われているモノだが、将棋の戦略や思考性は、常々人生に例えられる。
恋愛でお気に入りの女の子にアタックする際など、「居玉は避けよ」として、常にこまめに動かねば女の子は射止められなかったり、
スポーツなどの勝負の際に「敵の打ちたいところに打て」という、相手をフェイクでひっかけるような事は、非常に何でも応用の効く格言が多い。
ちなみに、こうした格言を将棋しながらはもちろんのこと、日頃の会話で言えるとしたら、結構知的に見られることが多いですよ。
ただ、女性攻略の時の「金なし将棋に受け手なし」はシモネタに受け止められるので、やめとけ。
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