叱る事と怒ることの違い

2016年6月13日

ビジネス 教育

親子関係、先輩後輩の関係、上司と部下の関係、師匠と弟子の関係、どれも、上のものが下のものを躾ける役割を担っています。 多くの人が、躾(しつけ)をすることは、叱りつける事だと勘違いしています。

教える行為と躾ける行為

子供に何かを教える時に重要なのは「興味を持たせる事」です。 実は、子供と親の関係でなくても、学校の先生と生徒、先輩と後輩、上司と部下、などのどのシチュエーションにおいても、この「興味を持たせる」という方式は全て同じであるという事を理解できると、教え方が上手になります。 逆に、この法則を知らない人が物事を教える場合、教わる人は物事を覚えるスピードが遅くなる事でしょう。 そして、躾ける行為というのは「作法を教えること」なので、上手に教えることができない人は、上手に躾をすることができないという事になります。 子供を持った親である場合、子供を躾けるという事にちゃんと向き合えるかどうかが重要なのですね。

叱る事は正す事?

子供がイタズラした時、部下が失敗した時、これは叱って正すという事が正解だと考えている人は、子どもや部下が遠ざかって行く確率が高くなります。 それでは、こうした場合は叱らずにどうすれば正すことができるのでしょうか? 失敗した人にとって何が重要かというと、「次から同じ失敗をしない」という事が非常に重要なポイントになります。 教育論では「1回目の失敗はスキルアップ要因として褒める」とされる事が重要視されているようですね。 叱って正すというのは、同じ失敗を2回以上繰り返してしまう場合に、注意するという意味合いで行いましょう。

怒る事の利点

どんな環境でも、怒りっぽい人はいるものです。
いつもイライラしてる人。 人に対して厳しい事を発する人。
こうした人がいると、その環境の空気がドンヨリしてしまう事があると思います。 もちろん、怒りっぽい人は、人に対して厳しいだけではなく、自分にも同じ、またはソレ以上に厳しい人がいますが、 怒る行為を他人に行う人は、基本的に問題人物だと考えた方がいいでしょう。 少なくても人前で怒るという行為は、マイナスイメージでしかありません。 いかに怒らずに物事をすすめることができるかという事がヒューマンスキルが高い証なのです。 身の回りの人で、教えることが上手い人は、恐らく怒らずに褒めて相手を伸ばしている人だと思います。 100人の集団で1人でも怒る人がいると、その空間の空気は非常に悪い事でしょう。

説教はアドレナリンが放出される

科学的に研究された心理学で、説教をしている間、説教している人の脳の中には非常に大量のアドレナリンが出ているそうです。 これは、麻薬などの快感物質と同じで、要するに説教をする人はすごく気持ちが良くなるのです。 怒られる人は、真逆で気分が悪くなり、ストレスが溜まる一方ですが、怒っている人は、気持ちが良いので、長時間起こり続けることが可能なのです。 法律違反しているワケではないし、怒っている側は、おそらく正論を振りかざしているので、「悪い」という認識も起きないはずです。 そして、説教をする快感を覚えた人は、多くが説教魔となる変わってしまう事が多いようです。 本当に麻薬ですね。

やり込み詰める追い込み方

仕事の話をする時によくある場面として、プロジェクト進行がうまく行っていない場合、担当者を理詰めにする傾向があります。 「担当者だから・・・」 「責任者だから・・・」 「自分で言っただろ・・・」 これらの発言は、相手を追い込むだけで、多くが結論が分かっている場面が多く、相手の逃げ道を奪い、攻め立てて、説教をする行為は実は何の発展性も無い事を理解しなければいけません。 やり込められる人は、失敗した後や、うまく進捗が進んでいない場合に、自分でも認識している事を、頭ごなしに言われているので、おそらくソレに対して前向きに返答することができません。 この場面で多くの人が黙りこくってしまう事でしょう。 刑事ドラマの取調室がこれですね。 この追い込みの場面には実は発展性がなく、答えも出づらいことから、この手法を使っている上司や先輩などは、一刻も早く、相手の反省のさせ方の心理学を勉強した方がいいでしょう。 何故なら、この方法で、失敗した人は、言われたことに対して反省するどころか、やり込まれた事を恨んだり根に持つ事ぐらいしか結果が生まれないからです。

目的の躾を理解する

人を躾ける場合は、とにかくお互いのコミュニケーションが重要である事がわかります。 言った人の事を信頼できないと、間違いなく言葉の意味などを飲み込むことなどできません。 子供が親を無条件で尊敬するワケもなく、ましてや会社の上司など、血も繋がっていない人を信用する事がどれだけ難しいかを理解しなければ、部下を躾けることなどできない事が多いでしょう。 今回は、教える(躾ける)側の質や品格ばかりを話したため、教わる側の素養がない場合は、 苦労する場合もありますが、どちらが先に質を高く持たなければいけないかというと、教える側にあると僕は思っています。 学校の先生は、生徒を選ぶこともできないし、そもそも親も子供も、どちらも選ぶことも、素養がなくて取り替えることもできないので、先行者が先導者になる以外に未来はありません。 是非とも、この点を理解することで、良好な環境を構築してみてはいかがでしょう?

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