
「なんか面白いことないかなぁ」
気づけば口癖のように呟いていた。
でもあるとき、ふと思ったんです。
「面白いことをやりたいなら、
“人の面白い”に賛同できるか、
または
“自分の面白い”を持つことのどちらかじゃない?」
今回は、そんな気づきから始まった「面白いことを見つける方法」について書いてみます。
面白いことを探す旅は、どこから始まる?
面白さって、絶対的なものじゃないと思った。
だから「探す」より「気づく」方がしっくりくると思うんだよね。
そのヒントになるのが、
他人の面白がってることや、
自分の中の好奇心。
人が面白がっている事に興味を示さないのは、面白さに鈍感なタイプである可能性が高い。
同時に好奇心レベルがが標準よりも低いのかもしれない。
こんな人は、まず自分が面白いと思うこと(モノ)をたくさん見つけてみることから初めてみるといいでしょう。
人の「面白い」に乗っかってみる
誰かが夢中になってることを、試しに一緒にやってみることで、面白いと感じる人は手軽に
面白いコトを見つける事ができます。
それがゲームでも、DIYでも、哲学の議論でも、とにかく
夢中になれるという感覚を体感できる事が重要。
自分の好みと違っても、「へえ!なるほど!」と共感できると、面白さは連鎖する。
共鳴できる感性が、面白い世界へのパスポートになる。
そして、自分が面白いと思ったことは、同時に他人も面白いと思う可能性も高いので、そこから人の輪が生まれる可能性も高い。
自分の「面白い」を育てる
もう一つの方法は、自分だけの面白さを深掘ること。
他の人には理解されないかもしれないけど、自分にとっては
ワクワクするもの。
例えば、「無駄に巨大なExcel関数を作る」とか、「意味もなく自作言語で日記を書く」とか。
そういう
ニッチで愛おしい面白さが、やがて個性になる。
こういう独自の面白さって、やり続けることで、独自のルールが作られてくるので、
自然とその世界観に深みが生まれてくる。
多くの人がその世界が作られる前に飽きたり、忘れさってしまうので、面白みの追求が浅い状態で終わってしまう事が多いようだ。
面白いは、視点の掛け算
「誰かの視点 × 自分の視点」= 思わぬ発見。
これは足し算ではなく、掛け算になっている事に気が付いたら、他人の数倍物事を面白がる事ができるスキルを身につけたと言ってもいいかも。
実は、面白さは、
意外性の中にあるって知ってた?
つまり、
違和感やズレを楽しむことが、面白さの種になるという事。
他人から「なんでそれが面白いの?」と言われても、自分だけの面白みを見つけて、それに理由が理解できると、
他人も後からついてくることもあるし、理解することで、掛け算から乗算の面白みになってくる可能性も高い。
面白いは、態度でもある
面白いことを“見つける人”って、たいてい
受け身じゃない事が多い。
「なんかやってみようかな」という
能動的な好奇心がある。
それってつまり、「面白がる力」なんですよね。
面白いことは
探す前に、自分が面白がる人になることから始まるという事。
人生でいくつもの選択肢にブチ当たった時に、多くの人が「どっちを選んだら得か?」という視点で物事を考えるが、
面白さマスターの人は、間違いなく「どっちを選んだ方がおもしろいか?」という、芸人みたいな思考で物事を選択している。
これは、普段の人の振る舞いや、決定思考、その人の性格にも強く現れるので、やはりどう考えても面白さを追求する人は「面白い人」と考えてもいいかもしれない。
あとがき
今回のブログを書きながら、
「面白いことをやりたいなら、人の面白いに賛同できるか、自分の面白いを持つこと」
このシンプルな二択が、実はすごく本質なのかもしれないと改めて思いました。
面白いことをしたいと思っても、自分の面白いポイントが自分自身で理解できていないという人も世の中多いのかもしれない。
受け身で面白い事が起きるのを待っている人は、偶然以外に面白いことは見つけられないけど、
能動的に面白いことを選択し続ける人って、常に面白いことに直面できているから、そうした人は、面白マスターの称号を与えたいと思います。
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