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仕事で疲れた時、電車などで少しだけ時間を潰したい時、友達との待ち合わせで少し早く到着してしまった時。
こんな時、スマホに入っているパズル的なゲームをする人、多いんじゃ無いでしょうか?
手軽にできて、時間を無駄にしている罪悪感がありつつも、そのゲームステージを1つでもクリアできたら、
なんか知らんけど達成感みたいな高揚感が生まれます。
クソゲーから、サルゲーまで、他にも運ゲー、鬼ゲー、音ゲー、推しゲー・・・コンピュータが世の中に出てきてから、人はゲームに魅了されてきたと言っても過言ではありません。
これから先、もしかしたら、ゲームによって人類史上が大きく変わる可能性もあるかもしれませんね。
ゲーム脳は褒め言葉
親が子供に対して、「ゲームばっかりしているとゲーム脳になっちゃうよ」と言っているのを聞いた時に、
それって、むしろこれからの時代に必要な脳じゃない?と思ってしまいます。
一昔前は、ゲームをやりすぎると脳の波長が悪くなり、脳みそが腐っていく的な考え方を、偉い学者さん達が言い放っていましたが、
その後、脳トレなるゲームが出てきたり、ボケ防止ツールとして使われたり、失われた記憶の回復に使われることもあったりします。
ゲーム脳というよりも、何も考えなくなる「怠惰脳」と言った方がもしかしたら正解なのかもしれませんね。
eスポーツとして、ゲームも認知されてきていることから、単にゲームで遊ぶというレベルではなくなってきている世の中になってきました。
これから先の世の中は、「ゲーム脳を鍛えよう!」と言われる様になるかもしれませんね。
楽しいことは良いことだ
学校で難しい授業をする時に、先生が学生たちの緊張をとくために「これはゲームです」という場面があると思います。
この時、生徒は、ゲームと聞くと本番勝負ではなく、単なる遊びかのように考えて気分が落ち着くワケですが、
なんでゲームで落ち着くのかというと、ゲームは敷居が低いからなんです。
誰でも手軽にできて、失敗をしても、笑って許せて罪悪感が極めて無いゲームというジャンル、楽しめる上に、本番さながらの体験ができるというメリットもあるため、
教育現場でよく使われているのかもしれません。
ゲームは楽しく無いとゲームでは無いと言っても、いいのかもしれませんね。
罰ゲームもゲームのうち
なるべくならやりたく無い罰ゲーム、
トランプのババを引いたら罰ゲーム。
こんもり入れられた、ワサビ入りのお寿司を食べたら罰ゲーム。
黒ひげが飛び出したら罰ゲーム。
いろいろな罰ゲームがありますが、ゲームの罰なのに、罰ゲームっていう言葉なんか違和感があるのは、自分だけでしょうか?
でも、罰ゲームも楽しければそれはそれでゲームの一環なんです。
人を傷つけない罰ゲームであれば、ゲームクオリティとして楽しんだ方が勝ちです。
もはや楽しんだ時点で罰ゲームではなくなるかもしれませんけどね。
ゲームがもらたす思考アップ
子供の頃にゲームカセットを親に買ってもらって、それをプレイする毎日がとてもワクワクしていたことを思い出します。
学校に行っている時でも、家に帰ってそのゲームをする時のことをずっと想像していたり、
よる寝る時間を削ってでもゲームに没頭していたあの感覚って、子供ならではではなく、大人になっても持続し続けます。
そうした副次的な思考も含めて、ゲームをしている時には、
いかに効率的にステージをクリアできるか、
より早く突破できるか、
素敵に華麗に終える事ができるか、
こんな思考が生まれてきて、同じゲームをプレイしてもその人によってプレイスタイルが違うという思考性が生まれてきます。
バイオハザードのタイムアタックは時間の無駄と考えがちですが、その最中における効率性と、記憶の保持は、
嫌々勉強する脳よりもはるかに活性化されているはずです。
あとがき
ゲームをプレイする時の良い感じのゲーム脳が活性化するのであれば、
ゲームを作る人はより別のゲーム脳が存在するに違いありません。
というわけで、これまであまりゲームクリエーターと行ってきませんでしたが、ゲームコンサルタントとして思考に特化したゲームを作っていきたいと強く考えてしまいました。
この話、共感してくれる人は多いものの、一緒に作りたがる人ってほぼいないのが残念なんですけどね。
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