何故、大食いがもてはやされるのか分からない話

2021年12月8日

日記

eyecatch 無駄にお菓子を食べるけれど、比較的少食の、ユゲタです。 美味しいものを腹いっぱい食べると、幸せな気分になります。 そして、ユゲタは、嫌いな食べ物が「皆無」という事も、食べる楽しみのひとつと信じて、なんでも食せる特技も持っています。 夜、テレビをつけると、どこかのチャンネルで大食いチャレンジっぽいことをよくやっているのを見ます。 何故か人が大食いしている姿って、見入ってしまいますよね。 絶対に、自分ではできないから、「すごいなぁ〜」という羨望の眼差しと、「よう食うなあ!」という関心と呆れの中間のような感覚です。 どうやら世の中の人は大食いが大好きだということは、よく分かります。

大食いの魅力

大食いしている人を見ていると、何だか自分も食べたような気持ちになる感覚があります。 それを美味しそうに食べているのをみると、美味しい感覚になるのかもしれません。 でも、テレビで大食いをやっている多くが、ハラいっぱいになってくると、苦しいのは、分かりますが、食べ散らかすように食べるのを見ていると、逆の感情も生まれてきますが、 それでも、「たくさん食べたほうがエライ」というような扱われ方をしている場面は、誰もが見たことがあると思います。 海外では「フードファイター」として、もてはやされているというのもあるかもしれませんが、大食いはもはやスポーツなのかもしれませんね。 そして、何故か、小さくて、華奢な女性アイドルのような人が、相撲取りのような体格の男性に、大食い勝負で勝つのを見ると、何とも爽快感がありますよね。 ラーメン屋などで、大盛りを頼むと、バケツ盛りのような量で出てくるお店があるので、うかつに大盛りを頼めない自分ですが、 普段の食事も、あまりたくさん食べると気分が悪くなるので、大食いは「食べる」ものではなく「見る」ものだ、と考えている自分に改めて気が付きました。

食べ物の好き嫌いや食わず嫌い

そういえば、ユゲタの兄弟や、周囲の友達は、何かしら自分が嫌いな食べ物というのを主張しているのをよく聞きます。 キュウリや、シイタケが食べられないことを人にアピールしても、それを美味しく頂いている人にすれば、「残念な人」としか思われないことがわからないのでしょうか? もちろん、食べられないものの専門店などに一緒に連れて行かれないための主張なのかもしれませんが、正直言うと、そういう事を人に考えさせる時点で、そうした友達と付き合うのがめんどくさくなります。 自分で管理してっくれればいいだけなんですが、好き嫌いは食わず嫌いも含めて、主張が激しい人が多いという傾向もある気もします。 そして、アレルギーで食べるととんでもないことに鳴るという場合を除くと、アレルギーでもなんでも無く、単純に意味もなく個人的感覚で「嫌い」というだけのほうが圧倒的に多いというのも、ユゲタリサーチでほとんどだという事が分かっています。 正直、これらのアピールって、メリットが無いことを彼らはいつになったら分かってくれるのだろうか?

残さず食べる文化

絵描きの下積みをしていた時代にフリーターをしながら、貧乏生活をしていたこともあり、ユゲタは今でも貧乏性です。 破れた服を平気で着こなしていたりするのも、そのためかもしれませんが、 目の前に出された食事は残さず食べるというのは、戦後の日本で育った親から教わった、大事な教育の一つだったのかもしれません。 なので、定食屋などで、ボリューミーな定食に入ると、大食いでもないのに、勝手に大盛り丼でゴハンを出してくるようなお店は、魅力的なんですが、 結果的に地獄の大食い体験をさせられてしまうという結果になることを考えると、うかつにそうしたお店には入れないと恐怖を抱いてしまっている心理も持っています。 パーティなどに参加して、残っている食材を見ると、心が痛むのはもはや世の中の当たり前になりつつあるのは嬉しい限りです。 そして、何より、米粒一つ残さず食べる事を美徳として教育してくれた両親に感謝ですね。 大食いにならない程度の自分の胃袋サイズを理解するというのも、社会人の一つのスキルなのかもしれませんね。 無駄に脂肪を蓄えても、人生において何もいいことはなさそうですからね。

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