楽して稼いで何が悪いのか?

2018/03/26

学習 日記

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人がお金を稼ぐ時に「苦労して稼いだお金」と「楽して稼いだお金」は、同じ金額であったとしたら、楽して稼いだお金は、他人からしてみるとどうしてもその金額はもらいすぎでは無いかと思われがちだ。 日本人はとにかく苦労するのが好きな人種で、楽した人よりも苦労した人の事を評価しがちです。 もちろん、不正などのような形での楽はそう取られても仕方がないのだが、どうしても貧乏くじを引きがちな不器用な僕の友人の為に、楽して稼ぐ事の優位点を考えて見たいと思います。

言い換えると変わる印象

「苦労と楽」を「得意と不得意」に置き換えるととどうだろうか? 「不得意な事で、苦労して稼いだお金」と、「得意な事で楽して稼いだお金」これは、同じような価値観に思えてきませんか? むしろ、苦手な事で稼いだお金よりは、得意な事で稼いだお金が、しかるべき稼ぎ方をした印象にも思われます。 苦労の仕方にもよりますが、今度は「得意と不得意」を「専門的と専門でない」とするとどうでしょう? 「専門的で楽して稼いだお金」と「専門外で苦労して稼いだお金」・・・ 専門外なら苦労して稼ぐぐらいなら手を出すなよ・・・とお金を払う側からすると、専門家に任せたいと考えるはずです。

楽する為に専門的になる

専門的になるということは、その物事に対して詳しくなるという事です。 お金を稼ぐ時に、稼ぐ内容に対して詳しくなることは、稼ぎ方が楽になっていくはずなんですね。 そのため、専門性が高くなるほど楽してお金が稼げるようになるため、こうした楽を目指す姿勢こそが、本人の専門性が高まる証となると言い換えられます。 汗水垂らして苦労して稼ぐだけのお金は、単なる体力勝負の労働集約でしかありません。 何事も職業に就くということは、専門性を高める必要があると考えると、苦労して稼ぐよりも楽して稼ぐ事を目指す姿勢こそが、お金を払う側も、もらう側もハッピーになるという事なんですね。

楽する事と怠ける事の差

楽をする事を考えた時に、「自分が楽をする」という思考になってしまうと、周囲の人の目が冷たくなります。 最悪の思考は、自分がやるべき作業を他人に押し付けて、自分だけが楽になるという事です。 これにより、他人は楽になるどころか、その人の負荷を背負ってしまい、より忙しくなるようでは、誰もその人の事を良く考えないですよね。 この思考が理解できないまま楽を求める人は、かなり周囲から煙たがられることは間違い無いでしょう。 自分が楽をする時の「楽」は、「効率が良くなる」という風に理解できるだけでこうしたNG思想を回避できます。 自分を犠牲にして他人に尽くすタイプも、まあまあその後に自分がボロボロになちがちなので、楽をするのが決して悪い事では無いという事を思考に取り入れてみると、世の中スムーズに進むことが多いですね。 大手を振って楽して周囲から認めてもらいましょう。その先に、「あの人は効率がいい」と評価してくれるようになりますよ。 もし仮に間違った楽をしてしまったら、他人から後ろ指を刺されるようになるので、アンテナを張るのをお忘れなく。

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