性根が腐っている奴
人を騙そうとする奴
善悪の区別がつかない奴
こう言った奴は、必ずズルをします。
ズルをする人は、自分でズルい人間と自覚している場合が多く、それは既に確信犯が大多数なのです。
ズルの境界線
世の中で全くズルをした事がない人はどの位いるかと言うと、実はそんなに多くはないかも知れません。
ズルにも、大小の基準があり、人によって、その基準も大きく異なっている場合があります。
少しぐらい良いかと考えていると、他人にとってとてもずるい人間に思われる事もあります。
幼少時代の生い立ち
可哀想な事に、子供は親を選べません。
良い親もいれば、良いとは言い難い親もいるでしょう。
中にはズルイと言われるような親もいることでしょう。
子供はそういう親を見て、ズルイという境界線が緩くなってしまう事は、容易に想像できるでしょう。
休日に子供を連れて公園に行くと、色々な親子が来ていて、その中でも、常識が外れた親を見た時に、その子供が不憫に思えて可哀想になります。
ずるい事をしている子供が居たとしたら、それを教育できるかどうかも、親として見られているんですね。
モラルとズルの対比
やって良い事と悪い事の境目はモラルとして人の道徳観になるのだが、ズルという精神は道徳観があって、境目がちゃんとしていても発生する事が多いようだ。
警察官の不祥事や公務員の犯罪など、法令遵守が当たり前の環境の人でも、ズルは起こり得るのです。
確実にモラルとズルは、対比するモノではなく、ズルというのは、人間の弱い部分が表面化するだけなので、ある意味誰でも起こり得る危険性はあります。
道端にお金が落ちていて、ネコババするかどうかというドッキリをテレビで仕掛ける事がありますが、間が指す人も少なくないでしょうね。
根本的な価値観の正義
信号が赤で渡っちゃう人は、車が来ていないから、待つのは非効率だと考えるワケで、
自動販売機をガンガン叩いている人、小銭を盗もうとしているのではなく、お釣りが出なくて困っている場合もある。
側から見てズルしてるように見えても、理由がある場合も多く、ここの境界線はとても難しいケースが多いでしょう。
でも、一つだけ明確なルールがあるとすれば、そのズルにより、誰か他人が傷つけられる事があるとすると、
とても罪の大きなズルという事になるでしょう。
「風が吹けば桶屋が儲かる」ではありませんが、巡り巡って、誰かが困るかどうかを考える事も、道徳心の一つなのでしょうね。
聞こえは最悪
それでも、正当な理由があったとしても、ズルをしたと他人に思われる事は、いい印象は与えないので、
なるべくなら、自分からはズルをしないように、したいモノです。
この考え方自体がズルイと思うかもしれませんけどね。
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