
毎朝、1時間から2時間近く英語の勉強をしているが、仕事がめちゃくちゃ忙しい時に、こんなコトしていていいのだろうか?とフと思ってしまった。
ソレはソレ!と割り切っても良いのだが、一方で、学習をしなければ色々と取り残されるんじゃないかとおいう焦りもある。
そもそも勉強が嫌いだった自分としては、何故今こんなに学習をしているのだろう?
英語学習は、朝と晩の2回行っているし、
お風呂に入ったら、Kindleでの読書タイムで、20~30分ぐらいの書籍による学習をやっている。
そもそも仕事も、プログラミング学習として考えてもいいし、
このブログも自分のいろいろな学習や制作物の備忘録としてのアウトプットと考えている。
よく人から、「その学習意欲はどこからくるの?」と聞かれるが、自分もそれはよくわからない。
「やりたいことをやっているだけ」と答えているが、これを真似したくてもできないという人が世の中には多いみたいなので、
自分でちゃんと理解してみたいと思った。
自分はなぜ学習しているのか?
ふと立ち止まって、「自分はなぜ学習しているのか?」と問う瞬間がある。
自分がやっている学習は、単なる惰性ではなく、
何かしらの意思がそこにある気がしているんだよね。
でも、それが「明確なゴール」かと言われると、実は
そんなに固まっていない。
TOEIC◯◯点とか、英語で仕事するとか、そういう具体的な目標はない。
でも、学習していると「自分が少しだけ前に進んだ」と感じる。
その感覚が、どうやら僕のモチベーション源になっているようだ。
焦りと欲望
「焦り」と「欲望」は、学習モチベーションの両輪かもしれないと思った。
焦りは、「今のままではダメになるかもしれない」という危機感。
欲望は、「もっと自由に話せるようになりたい」「もっと理解したい」という前向きな感情。
両方が混ざり合って、自分を机に向かわせているのだと思う。
成長実感
さらに突き詰めると、「成長実感」を求めているのかもしれない。
子どもの頃は、テストで点が上がるとか、通知表が良くなるとか、明確な成果があった。(あまり成績は良くなかったが・・・)
大人になると、評価は曖昧になって、自分で自分を評価しなきゃいけなくなる。
とくに会社にいると、査定やら期間評価などがあるが、自分で起業すると
誰も自分を評価してくれない(この場合の評価は、評価結果を伝えてくれる事)
だからこそ、自分の
学習や成長を、自分で設計し、記録し、喜んでいるのかもしれない。
学習は自分を好きになる行為
そして何より、学ぶという行為は「自分を少し好きになれる行為」なんじゃないかと思う。
毎日の積み上げる実績は、「今日もやれた」という実感が、
自分に対する信頼を少しずつ積み重ねてくれる。
だから、続けてしまうんだよね。
学習は、結果ではなく、
行為そのものが自己肯定感を育ててくれるものなのかもしれない。
あとがき
他人がどういうモチベーションで学習をしたがっているのかは正直十人十色だと思うのだが、自分の学習意欲はこの通りだと再認識できた。
というわけで、
明確な答えはまだ見つかっていないかもしれないけれど、ひとまず今日も机に向かってみようと思う。
それは焦りでもあり、欲でもあり、ちょっとした自己メンテナンスでもあるとわかったからね。
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