中学生の時に、教科書に載っていて、学校の先生からも散々聞いてきた言葉で覚えている、
「少年置いやすく、学成り難し」
という言葉ですが、ある時、フと頭の中に浮かんできて(思い出して)何だか気になって今一度意味を調べてみました。
月日のたつのは早いもので、若い若いと思っているうちに年を取ってしまうのがこの世である。
少しの暇も惜しんで学問に励まないと、すぐに年老いてしまうという警告にたとえる。
https://imidas.jp/proverb/detail/X-02-C-12-8-0051.html
確かにそのとおりだと最近思うようになったが、若いうちは正直「めんどくさい言葉だな〜」と思っていた。
一寸の光陰軽んずべからず
同じ時期に、「一寸の光陰軽んずべからず」という言葉も、学生時代良く聞いたな〜と、思ったら、少年負いやすくのあとに続く文章で、似たような言葉だったことにも気がついた。
(「光」は昼であり、「陰」は夜である)たとえわずかな時間でも無駄にしてはならない。時のたつのは、あっと思う間のことである、というたとえ。
https://imidas.jp/proverb/detail/X-02-C-02-4-0044.html
時間は元に戻らないというのは、分かっているけど、時間を無駄に過ごした学生時代は楽しかった思い出もたくさんあるんですよね。
そもそも、時間の無駄って何なんでしょう?
勉強しないと無駄ってことなんでしょうか?
若いうちの苦労は買ってでもせよ
学校に行くために東京に上京してきた時に、アルバイトをしていたら、お店の店長から何人も、何度も言われたのがこの「若いうちの苦労は買ってでもせよ」という言葉でした。
若い時の苦労は買ってでもせよとは、若い時にする苦労は必ず貴重な経験となって将来役立つものだから、求めてでもするほうがよいということ。
https://kotowaza-dictionary.jp/k0089/
アルバイトを一生懸命やっていた時期に、どうせお金をもらうために働くのであれば、「そのアルバイトでやっている事を極めてやろう」と考えた時期がありました。
過去の話
これまで色々なアルバイトをやってきて、それらのどのアルバイトも、初めてやる時に初心者である自分がいて、何だか「初心者って何もできないやん!」と考えた時に、せっかくお金をもらってその仕事をやるのであれば、しっかりと自分の血肉になるように、熟練者になってやろうと考えたんですね。
ハンバーガーショップで働いた時は、どの店に行ってもその店のバイトリーダーになって、お店のあらゆる事を後輩に指導できるようになったし、
車で荷物を配送するバイトや引っ越しなどのバイトをやった時は、荷物の運搬について業界テクニックをキッチリと覚えて、それから引っ越しは業者に頼まなくても自分ひとりでほぼできるようになった。
車の運転は、地図を読むテクニックを自分で磨いて、よく他の人に最適な行き先を教えるためにマップを手書きで書いてあげて、局所的な地図屋さんみたいになっていたことを思い出しました。
これらの経験は今でも十分に役に立っているのが、半世紀ほど生きてようやく気が付きましたね。
学ばない人をみるとイライラする
他人に対してあまり干渉しないように心がけてはいるけれど、人は何かを教えてほしいと寄ってくる事が多い。
そうした人達に親身になって教えてあげるけど、多くの人たちが学び切る前に辞めていくという事にも気がついた。
せっかく自分でやりたい、学びたいと思って、覚え始めたのに、少し難しいと思ったら、途端にやめてしまうっていうのが、他人ながら残念で仕方がない。
少しイライラするのは、自分で学んで挫折するのはどうでもいいのだが、こちらを巻き込んでフェードアウトするという人間が多いというのも人の特性というものが分かってきた事でもある。
別に物事が出来ることを偉そうにしたいわけではないが、出来ないという人が「「教えて欲しい」と言ってきたら、教えないというスタンスの人っているのだろうか?とも考えてみた。
もしかしたら、教え方がイケてなかったから挫折をしたのだとすると、申し訳ない気持ちにもなるけど、どうやら世の中の何かを学習する時の挫折って必ず存在するみたいですね。
あとがき
「少年置いやすく、学成り難し」という言葉や、「一寸の光陰軽んずべからず」は、時間を無駄にしてはイケないという意味で考えると、
自分に向いていない学習は、自分でさっさと気がついて次の別の学習に切り替えた方がいいという風に考えてもいいのかもしれないね。
個人的には、それでも
フェードアウトだけは辞めてね!と言いたい。
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