2023年夏の甲子園で、107年ぶりに優勝に輝いた慶應義塾高校野球部。
決勝戦は前年に続いて連覇を狙う仙台育英高校。
結果は8対2の大差で慶応の勝利で終わったが、試合後の仙台育英高校監督のコメントが非常に心に残った。
敗者チームの監督はこうあれ!
「人生は敗者復活戦、良い機会を頂いた。」
この言葉がネットでトレンド入りをしているようだ。
コメントでは相手チームへの賛辞もしていて、聞いていてとても心地の良いコメントだった。
スポーツでも何でも、人は負けるという事に対しては、悔しい気持ちが湧き上がる。
ましてや、チームの監督というのは、自分が直接闘うわけではなく、選手に対して指導をすることしかできないというのも、なんとももどかしいかもしれないが、
チームが勝てば、選手が主役、負ければ監督の責任。
会社の上司もこうあるべきだと改めて認識することができた。
普段部下に怒鳴ってばかりいる上司をよく見かけるが、こうした監督精神って、人とのコミュニケーションにおいて、非常に重要であると思う。
名言の本質
この名言、「人生は敗者復活戦」って、ネットで検索してみると、これまでたくさんの人が言ってきているのがわかった。
普段あまりスポーツ番組などは見ない自分なので、正直知らなかったのだが、高校野球ではこの名言はよく使われているようでした。
でも、人生は敗者復活戦というのは、どんな事に対しても言える言葉だと思いません?
何かに負けた時にふてくされるか、ナニクソと思うかでその後の人生が大きく変わるし、
何かの大会で、一度は大敗している人が、次以降に優勝をするのと、初参戦で優勝するのでは、重みがまるで違うというのも、何とも人生の深みを考えてしまいます。
負けるが勝ちは、どっち?
昔良く聞いた「負けるが勝ち」ってどういう意味なのか、全く理解できなかったんですが、これって、孫氏の兵法的だったんですね。
戦わずして勝つという事と、逃げるが勝ち、どれも全然勝ってないじゃんって思うけど、勝ち負けの2ビット思考ではない、もっと深みのあるビット数での思考であるような気がしてきました。
どちらかというと、負けてるけど、結果的に勝ちとして判定される感じですかね?
ボクシングで言うと、ボコボコに殴られまくるけど、ラッキーパンチ一発で勝利してしまう場合、勝者は敗者よりも、顔のダメージが大きいけど、最終的に勝っているという事実には代わり有りません。
勝ち負けはルールが必須
そもそも、勝つとか負けるっていうのは、ルールがあってはじめて成り立つものであって、ルールがなければ、生きるか死ぬかになりますからね。
負けても死ぬわけではないことを考えると、何かしらの教訓を手に入れることができるのは、負けた側の方でしょう。
負けないとわからないこともあるし、敗者の気持ちがわからない勝者って、何だか薄っぺらくも感じてしまうのは自分だけでしょうか?
この話を想像すると、いつも漫画の「
柔道部物語」を思い出します。
負けない人生よりも、負けてからの挽回人生という逆転の美学を追求するのって、誰でもできることなので、そう考えると、なんだか負けることも自分に与えられた壮大な謎解きパズルのようにも思えてきます。
コナン君バリに解き明かせてみせよう、負け続きのこの人生!
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