世の中には、明らかにこうした方がいいと思って人に説明をしても、それぞれの人の信念や思い込みに基づいて残念なやり方を継続してしまう人がいます。
こういう人を見ると、次のような思考が頭に浮かんできます。
どうしてその思考になるのか?
何故効率を追求しないのか?
もしかして、そっちの方が良くて自分が勘違いしているのか?
自分としては、相手に何かしらの参考になればと思って提案しても受け入れてもらえない時は、少し残念な気分になってしまいますが、
人は相手を変える事は極めて難しいですよね。
そのため、自分を変える思考の方が良いんですよ、そして相手から学びを得るように考えるといいでしょう。
要するに、自分と思考の違う人を見つけたら、その
違いを学びに変えてみる思考です。
友達A君との話
以前、同じ職場で働いていた、仕事以外でも比較的仲のいい友達のA君の話しを思い出しました。
いつも楽しく話しをするA君は、プログラミングが好きだけど、自分のスキルにはあまり自身が無く、いつも「教えて!」と言って来ます。
最初のレクチャー
そんな彼に、いつもの調子で、「ブログを書くと自分の色々なことのスキルアップにつながるよ」と、学習の基本である、アウトプットについて教えてあげました。
自分の話を、興味深く聞いていたA君は、納得をした様子で「自分もユゲタの様にブログを書くようにして、プログラミング学習に繋げてみる」と目をキラキラさせて去っていきました。
その後の確認
1ヶ月ほどして、再開するタイミングでその後の継続を聞いてみると、ブログを書こうとしたけど何を書けばいいか分からなくて、ブログを公開するサーバーだけを契約して年間払いした状態で、1ヶ月経ってしまったのだとのこと。
ブログに書く内容が、思い浮かばないと言う人は、基本的jにアウトプットが極めて苦手なタイプというのが分かり、個人的に毎日ブログを書いている自分のネタ集めのコツや、情報収集方法などをレクチャーしてあげたところ、目をキラキラさせて、「情報に対する気持ちが大きく変わった」とのことで、ブログを再開すると、返っていきました。
リベンジ確認
しばらくして、またA君と話しをするタイミングがあったので、その後の様子を聞いてみると、
3記事ほど書いたが、1記事書くのに数時間かかるため、毎日はできないので、週に1記事書くようにしたとのこと。そして、3週間ぐらいは続いたけど、その後は書くことを忘れて途絶えてしまっている状態とのこと。
まあ、多くの人がこうした状態になることは想定していたが、A君もどうやらアウトプット学習が肌に合わないということがわかった。
でも、本人は「ユゲタが毎日ブログを書いて、毎回会う度に新しいプログラミング技術の話をするようなスキルアップをどうしても継続して行いたい」と強い口調で言ってきたので、最後のアドバイスとして、アウトプットしたモノを人に見てもらって感想をもらうとモチベーションが落ちにくくなる事を伝えたところ、納得しながらメモを取り、意気揚々と帰っていきました。
最終確認
それから数カ月後にA君と会ったので、その後どうなったか聞いてみた所、「もうブログを書くのは辞めた」との話しをされました。
彼に何があったのか聞いてみた所、あのあと、ブログと同時にそれまでやっていなかったSNSもアカウントを作って使い始めた所、知り合いからフォローされて色々と自分に対して辛辣な言葉を言ってきたので、ネットでの発信をするのが怖くなったのだとのこと。
でも、A君にそういう事を言ってきた人たちなどの目につかないように、人に見せないブログというのを書き始めたとのことです。
とても人に見せられない内容とのことだったので、少しだけ話してくれた内容としては、自分に対してネガティブな事を言ってきた人に対しての呪いの日記のようなものを書いているのだそうだ。
要するに、
Death Noteですね。
それからそのA君に対しては、ブログの話しをするのは一切辞めにしようと心に誓ったユゲタでした。
ちなみに、こうしたA君の様な性質は、話し方でやたらと自分の事を中心に話す人の特徴のようです。
レクチャー失敗から学んだ事
A君との話しは、相手から教えて欲しいという事を伝えたんですが、自分のやりやすいという方法のみを伝えて、相手に合ったやり方というのを思考しなかったというのが、A君の残念な結果に繋がってしまったのだと思いました。
特に気が触れた訳ではないが、A君がブログとかアウトプットに対する思考がネジ曲がってしまったと感じたのはもしかしたら自分の責任ではないかとも考えたのだが、彼には悪いがそうした人間も世の中に入るという事象を学ばせてもらった一事例として、自分の学びに加わらせていただくことにした。
A君の様にアウトプットが出来ない人は、アウトプットが出来る人のマネをしてもあまりいい結果が生まれないので、とにかくまずは継続をするスタイルを身につける事が重要なのではないかと。
オススメは、毎日コツコツなんだけど、どうしてもそれが出来ないという人は、「週に一度でもいいか・・・」となってしまいガチだが、実は毎日やることに非常に大きな意味がある。
A君の失敗もこの点ではないかと考えたのだが、週に一度と毎日の違いは、頻度だけではなく、生活リズムに組み込めるかどうかの差が生まれる。
そして、次に毎日継続しているものが、何かの事由によりその日だけ継続できない場合のリカバリーを自分の中で思考しておく。
いちばん重要なのは、毎日やっていてシンドイと感じてしまうことは、自分に向いていないと思って諦めることも重要。
生活リズムに楽しく組み込めるかどうかがポイントだという事が理解できました。
楽しくなければリカバリーも出来ないし、そもそも楽しくないことをやるなんてやる意味がないですからね。
違いを学びに変える思考
他人の思考というのは、自分と同じであるはずがないので、自分が正しいと思っていることを相手も正しいと思うことはないです。
他人と考え方が違うと思った時にその違いについて深掘りしてみると、色々な答えが見えてきます。
他人との違いを深掘りする
例えば、運動が苦手な人と運動が得意な人は運動をしている人のほうが体力があって、病気などをしにくいと考えガチですが、運動をしていないと怪我をするリスクも少ないし、長期で見ると細胞の入れ替わりが穏やかな方が寿命が短くなりにくいという研究結果なども発表されているようです。
余談ですが、アスリートは短命というのは、より「ハードな運動をして細胞消費が激しいからとも考えられているみたいですね。
他にも、自分は、毎日ブログを書いていますが、A君のようにブログは不定期で書くけど基本書かないという人からは、自分には無い学習法などを持っている可能性があります。
(ブログを書いて学習をするスタイルの自分との違いですね)
多くの人が普段仕事などで週間的に行っている行動が学習に繋がっていると気がついていない場合が多いので、話しをして効率的な学習ポイントがあれば、自分はブログに書き留めるのがいいかと考えたんですよ。
自分を変えられないと生きていけない?!
討論などのディベートで、自分が正しいことを主張する人は、まっすぐにも見えますが、他人から共感を得られない主張はなんとも虚しくも感じてしまいます。
正論を話す人が、モラハラとしてウザがられだしたのは、比較的歴史が新しい話で、昔は自分よりも目上の人が言ったことが正解と思い込まないとイケない時代が続いてきたので、もしかすると以下も時代がそうした思考の変換期なのかもしれないですね。
霊長類で鶴や亀を除いて、人間の寿命が長いのは、環境の変化に応じて自分を変えることができる生き物だからとも言われています。
逆に言うと、世の中の変化に反発するのは、自分のいろいろな寿命を縮めてしまう思考なのかもしれませんね。
あとがき
このブログ書いている時に気がついたんですが、「他人との違いを自分の学びに変える」という思考って、とても有効なように思えてきました。
何となく思いついたフレーズでブログを書いてみたハズなのに、思いもよらず色々なパターンが浮かんできて、話が膨らんでしまいました。
正直、このブログ1記事でまとめきれなかったというのもありますが、もう少し他人との違いについて意識して生活をしてみたいと思います。
なんだか、自己学習だけじゃなく、他人とのコミュニケーションとか、人生の目標的な大きな話に繋がりそうな感じがするんですよね。
学習だけじゃなく、自分を変えることができなくて悩んでいるA君のような人に見てもらって納得してもらえるブログになるかもしれないので、
続きはまた次回のブログでお楽しみください。
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