その昔、親父から口酸っぱく「大きい声であいさつせえ!」と朝から大きな声で怒鳴られていた。
学生時代の僕は、親に対する反抗心が強く、その言葉に対して反対の事をしていたのですが、社会に出て、部下ができて、子供が出来て、毎朝同じことを言っている自分に気が付きました。
そんな親父も数年前に他界し、改めて同じ思考になった事をこの時点で感じることができたのは、自分が少しは成長したからかもしれない。
あいさつしてますか?
毎朝、眠そうな目をこすりながらテンションの低い子供が、小さな声で「おはよう」という言葉を聞くと、「もう少し大きな声であいさつすれば気分がいいのに」と思ってしまいますが、自分が言われて嫌だったように、子供に押し付けの教育をするのは良くないと考えて、ぐっと堪えるようにしています。
きっと彼らも大きくなって社会に出てそのうちにあいさつが大事だという思考がわかる日が来ると信じています。
しかし、今まで勤めた会社で、あいさつをする人、しない人は確実にどちらも存在し、その2つは明確にその人の人格を形成している事にも気が付きました。
あいさつをしないタイプの人
このタイプは朝、テンションの低い人と思われますが、朝が苦手な人、夜遅くまで起きている人、男性サラリーマンでIT企業に勤めている人は8割型が、深夜遅くまでゲームしている人。
その他にも、意図的にあいさつしない人もいますが、この人達の真意は未だにわかりません。
あいさつをするタイプの人
あいさつをする人は、元々声が大きい人が多く、自分に自信があるタイプが多いようです。
ハイテンションになる必要はないのですが、あいさつをすることが当たり前だと考えている人は、あいさつをしない人が不思議で仕方がないはずです。
あいさつの起源
そもそもあいさつって、なんでするんでしょうか?
「おはよう」「こんにちわ」「こんばんわ」「ごきげんよう」など時間によって変わるあいさつを考えると、英語では「Good morning」」「Good Evening」「hello」という似たような感じです。
世界的にあいさつは時間に応じて行うコミュニケーションという事で重要だと考えているんでしょうね。
世界では言葉だけでなく、身振り手振りを行なったり、体を触れ合ったりする国もありますが、対人関係が重要だと考えるからこそあいさつが存在する事がよく分かります。
日本のあいさつは「こんばんわ」から始まった?
人から聞いた話で面白かったのですが、その昔、まだ電気がなく、夕刻時には暗くなり人の顔が見えない事が当たり前だった時代に、人々は、自分が誰かを声を出して相手に伝える手段としてあいさつをするようにしていたという話です。
暗闇で街を歩いている時に、自分の近くを誰かが通り過ぎるのは、少し怖い感じがしますよね。
そんな時に、「こんばんわ」と知っている声で言われたら、安心感が沸くものです。
こんばんわから始まったかどうかは、諸説あるので定かではありませんが、あいさつをする基本的な意味ってこの話の通りだと思いませんか?
あまり交友の無い都会などで、自宅近くを歩いている時に、明らかに近所の家から出てきた人に「こんにちわ」と声をかけると、ご近所の人だと気がついてくれるはずです。
町の防犯にもやくだつあいさつをしない意味がわかりません。
会社で気付いたあいさつ
とある会社で役員をしていた時に、来ていただいたお客様が、必ず「受付で通り過ぎていく従業員の方がみんな大きな声であいさつしてくれるので非常に気持ちいい会社ですね」と言ってくださいました。
そして会社の外でも、「こちらの会社で、受付で気持ちのいいあいさつをしてもらった」という風に、さらに他の会社の人に、説明をしてもらったり、
とにかくあいさつをされると、人は気持ちがいいという事がよくわかりました。
確かに、他の会社に行って、受付で待っている時に従業員の人が通り過ぎるのだが、明らかに目があっているのに何も言わないのと、「いらっしゃいませ」などと一言いってもらえるのとでは、雲泥の差です。
少なくても、会社の若い人達が、「こんにちわ」と挨拶をしてくれる会社は
教育の行き届いている会社
という印象を、無条件に与えることが出来、会社としての評価もその時点で悪くないはずです。
あいさつの徹底
あいさつは基本
という風によく言われますが、こうしてあいさつを考えてみると、本当にその通りだと言うことがよくわかりました。
あいさつができない組織で、あいさつを徹底することは難しいのでしょうか?
まず、あいさつをされる側の事を考えると、元気よくあいさつをされるだけで、あいさつをし返さないわけにはいきません。
そういう事を体感してあいさつの重要性が理解できるようになると、誰でも自分からあいさつをやりはじめます。
そしてお互いにあいさつができる文化が定着するのではないでしょうか?
人があいさつをしないから自分もあいさつをしないのではなく、自分からあいさつをして、周囲の人にあいさつをする文化を作っていくという考え方がいいと思いました。
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