
何も考えないより、何か一つでもアイデアを出す方が良い。
アイデアも無駄打ちするよりも、少ない中でも良質なアイデアを生み出せる方が良い。
では、AIを使ったりして、最適解をひとつ取得するという思考をネットでの色々な動画で進めているが、どうも何か違和感がある。
もしかして、無駄撃ちするアイデアの方が良い場合もあるのではないかと、根本を疑ってみることにしたら、
最適解ばかり求める思考って、実は最適ではないようにも感じてきた。
この違和感について深掘りしてみたいと思う、今日のブログ。
今よりも思考をもっと鍛え上げたいと考えている人は是非読んでください。
最適解信仰が生まれた背景
効率・再現性・正解を早く得ることが評価される時代構造になってきた。
AIや色々なフレームワークが「考えなくても答えが出る」感覚を後押ししている。
とにかく、複数の良さげなアイデアよりも、課題解決のための最適解を1つの方がありがたいと思っている人が増えてきた時代になってきたようにも思える。
もちろん、誰か一人が「これが最適解」と言えば、それを信じてしまう、ネット特有の意識コントロールもあるが、最適解を見つけられない人からすれば、「コレ!」と言って断言されると何故か安心感が生まれているんじゃないだろうか?
時代のニーズと、それを利用する人がマッチして、今まさに、最適解時代が到来している感覚ですね。
最適解が正解ではない結末
会社では、上司から「最適な提案」を期待され、これまでは自分の頭のなかの知識を振り絞ってなけなしのアイデアを捻り出していましたが、
これが最近では、簡単な質問文を投げかけるだけで、最適解とも思える内容がいくつもピックアップされてしまいます。
アイデア捻り出しを業務にしている人にとっては、こりゃあ便利なワケだが、
何かしらの課題や、企画などのアイデアって、解決に対する正解が1つではない場合も少なくない。
その場合、何か一つでも解決できれば最適解と言えるのか、
複数を同時に解決できないとダメなのか・・・
おいおい、一体何が最適解なんやねん!!
最適解をナメてんじゃね〜ぞ!
そんな声が聞こえてくるとか、こないとか・・・
とにかく、最適解ってAIに出してもらって終わりじゃないんじゃないか?っていうことに気がついてしまいました。
(アホなのか、オレ)
無駄撃ちアイデアが持つ本当の価値
一見役に立たない発想が、後から文脈を変える起点になることってありますよね。
発想の量が、思考の柔軟性そのものを鍛えているという視点もあるんじゃないかと思います。
そもそも、アイデアって人の頭でどういう時に発生するのかというと、過去の複数の全然違った記憶どうしがくっついた時に、新しいアイデアとして生み出されるという仕組みらしいです。
そうアイデアって、知識がたくさんあればあるほどたくさん生み出されるという仕組みのようですね。
もちろん、組み合わせ方にもコツがあるので、そのテクニックなどは、上記の書籍を参考にしてみるといいでしょう。
最適解を求め続ける思考の落とし穴
最適解を見つけて安心していたら、条件が変わった瞬間に最適解が崩壊するリスクがあります。
「考えた気になる」ことで思考停止が起きる問題もあります。
人は、思考をやめた瞬間から、情弱になってしまう可能性が高くなってしまうんですね。
最適解だけしか求めていない人は、かなり思考が狭くなっている可能性があります。
視野が狭い、コミュニケーションが弱い、情報弱者、思い込みによる思考のミスリード・・・
誰もこうした人間になりたくないと思っているはずなのですが、こうなってしまうリスクが高まってしまう可能性があるんですよね。
「最適解の最適解」というメタ思考
今この場面で、最適解を探すべきか、探索すべきかを判断する思考が必要になります。
要するに、最適解って、答えを一つだけ出す場合に必要なのであって、アイデア出しをする時に最適解は不要だったりします。
TPOによって、最適解なのか、アイデア出しなのかを分別つける思考というのが重要なんですね。
要するに、自分や課題に対する「メタ認知」が重要なんじゃないかと思うんです。
解を出す前に、問いの立て方を疑う重要性という視点で、一旦物事を俯瞰してみるというのは、人が何かを思考する上で重要なルーティンなんじゃないでしょうか?
思考を鍛えるために意識したいスタンス
このブログを読んでいる人は、自分の思考をとことん鍛えたいし、最適解もズバッと出したいと考えている人が大半でしょう。
でも、何故だか自分にはそうしたスキルがない・・・と悩んでいる人に、アドバイスをするとしたら、
「あえて遠回りする設計を自分の中に持つ」
これです。
AIを答え製造機ではなく、発想拡張装置として使うようにするといいでしょう。
ChatGPTでヒントをもらって、それを元に自分で考えた答えがあると、思考のルーティンを、AIに鍛えてもらっている(ヒントをもらっている)という、極めていい使い方になるように思えます。
「教えて」じゃなくて「ヒントちょうだい」とプロンプトに打ち込んでみるのがいんじゃないでしょうか。
あとがき
「人は考える哺乳類」と、誰かが言っていたような気がしますが、考えない人と話をすると、ペラッペラの思考に対してl、吐き気を覚えます。
もちろん、当人にはそんなことを伝えませんが、その後話をしても何も面白い展開はないだろうな・・・と思ってしまいます。
そして、誰もが他人からそう思われることも嫌ですよね。
なので、そうならないために日頃から思考を鍛えるというトレーニングを、日常で行う仕組みを作っておくことが一年後、三年後・・・の自分のためになる貴重な日課じゃないかと思うんです。
そして、誰もそうしたトレーニングを自分に対してしてくれないので、自分で意識的に行うことが需要なんですよね。
自分の思考トレーニングの最適解を見つけてみませんか?
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