
映画や小説ってハッピーエンドじゃないと、評価が下がる傾向があるって知ってます?
これはアマプラなどでの星評価が、有名タイトル(受賞評価を受けた作品であればなおさら)と、ハッピーエンドのストーリーが星が3つ以上ついている傾向がある場合が多いんですよね。(個人的感覚でもあります)
ハッピーエンドって、だいたい波乱万丈の末に訪れるので、その浮き沈みがストーリー的に面白く作られているからではないかと考えてみた。
実際にハッピーエンドじゃなくても面白い作品ってたくさんあるんですけどね。(サスペンス系は、逆の方が評価されやすいかも)
人生において、ハッピーエンドに辿り着こうとすると、悠々自適で、何も苦労せずにハッピーエンドになるなんて、あり得ないんじゃないかと考えてみました。
家庭ガチャ
貧乏な家庭に生まれた子供と、裕福な家庭に生まれた子供は、どちらがハッピーエンドになっているかというと、
戦国武将は、メジャーどころは概ね底辺の家庭から、将軍に上りめることが歴史として語り継がれていたりしますよね。
裕福な家庭といえば、何不自由なく育ってそのままでハッピーエンドを迎えそうになりそうですが、
有名人の2世は、波瀾万丈な場合が多いので、必ずしもハッピーエンドになっているとは考えにくいですよね。
なので、実は家庭ガチャによってハッピーエンドに繋がりやすいかどうかはあんまり関係ないと考えてもいいんじゃないでしょうか。
生まれ育った環境を根に持って障害恨み節を言い続けている人は、もちろんハッピーエンドにつながる可能性を自ら遠ざけているという見方もできますね。
人は安心・安定をとりたい生き物
安心、安定で過ごしたいと誰もが思うでしょうが、実際には人は、
刺激と成長があって、初めて
達成感を感じて面白みを感じることができる生き物なんですよ。
サラリーマン人生といえば、毎日決まった時間に起きて、同じ道を通って、同じ仕事をして、帰って寝る。
それを何年も繰り返す。
もちろん、それが何十年も継続できれば、「幸せだった!」と最後に胸を張れる人もいるかもしれないですね。
でも、たぶん多くの人にとって、それは“ただのエンド”なんじゃないか、1回しかない自分の人生、「もっと面白い人生にしたい」と考える人もおおいんじゃないでしょうか?
ハッピーエンドを目指すってことは、たぶん「挑戦」を選ぶってことなのではないかと考えてみた。
自分で何かを壊すこともあるし、失うこともあるし、泣くこともある。
それでも、“それを超えた先に何かある”と信じられるかどうかがポイントなんでしょうね。
他人に自慢できる物語人生を望まないのも一興
他人から見て、退屈な人生と言われても、安心・安定を好む人も多くいます。
こうした人は、それはそれで安定した人生が送れていること自体でハッピーエンドなのかもしれません。
この感覚は人それぞれなので、実はハッピーエンドって、
自分が決めちゃってもいいモノなんじゃないでしょうか。
逆に波乱万丈を嫌ったり、苦手としたりする場合、困難や葛藤が目の前に現れると、
それに対する耐性があまり無かったり、防御力が弱かったりすると、とたんに心が折れやすくなるかもしれませんね。
この耐性がついていて、継続ができて、心が折れにくいという人は、波乱万丈じゃなくても、ハッピーエンドを手にしやすいと考えてもいいかもです。
人生いろいろ
人の人生は、今や100年時代と言われていることを考えると、1世紀もの間に、何も波乱万丈が起きないって考えにくいですよね。
就職や、結婚、出産、友達付き合いから、仕事での浮き沈み、交友関係におけるゴタゴタから、病気など、
普通の人であれば、何かしらの壁が立ちはだかるはずです。
そんな時に、逃げ腰にならずにおけるちょっとした思考テクニックとしては、
「自分だけなんでこんな目に・・・」と考えてしまいがちでしょう。
そもその時に、
ハッピーエンドの“前半”として、後半にどうなっていたいかを想像してみるイマジネーションを持つだけで心が折れにくくなります。
あとがき
「もういやだ!」、と思ったら是非ハッピーエンド思考をイメージしてみましょう。
そして、安定した生活を目指すよりも、紆余曲折を好んで選択し続ける人生の方が、おそらく自分自身でも面白いと思えてくることがあると信じて、
苦手なことに苦味を突っ込んでみてはいかがでしょうか?
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