
先日、ネット記事を見ていて、非常に心に刺さる言葉に出会った。
「仕事がつまらないのではなく、物事を楽しめるスキルが無いだけ」
うわ〜コレ、めちゃくちゃ分かる〜。
仕事がつまらないから、転職するという人の多くは、仕事がつまらないんじゃなくて、人間関係が面白くないんだろうけど、
その仕事が本当に面白かったら転職するという選択肢は頭には無いだろうな・・・と思う。
そして、フと思った。
面倒くさい事も、面白いと思うことで全く
面倒くさくなるなるのではないか?と・・・
だって、以前会社で仕事をしていた時に、プログラミングをしていたら、横から営業の人が来て、
「よくそんな面倒くさい事できますね」
と無邪気に笑っていた、後輩社員、
彼からはプログラミングが面倒臭く感じたんだろうな・・・
また、そのさらに前にいた会社で、ゲームのグラフィックデザインをやっていた時に、
ドット絵を作っていたら、
プログラマーの人から、
「オレ、とてもじゃないけどそんな細かな仕事できないな〜」
と笑いながら言われた。
おそらく、面倒くさいとか細かくてできないって、要するに興味がないってことなんじゃないかい?
興味がないことは面倒くさい?
好きの反対は、
嫌いじゃなくて、
無関心という事を聞いたことがある人も多いと思うが、
興味がないことは無関心ということ。
好きでも嫌いでも無くて、興味がないってことは、その事柄は自分の眼中には入らないという事で、
今後これから先に、何かしら興味を持たないと、自分には関わることが無いという、何とも面白みを自ら排除している状態になる。
確かに、その物事が
嫌いという人は、何かしら関わってきているから、嫌いにも理由が存在するが、
興味がない人というのは、おそらく食わず嫌い的な、無関心なんだろうな。
それを面白いと思っている人からすると、宝の山に背中を向けているなんて、
もったいないと思わざるを得ない。
疲れることは面倒くさい?
マラソンすることを極端に嫌う人がいるが、間違いなくジョギングすらやらないタイプの人。
走る事って、時間的にも、体力的にも、非常にコスパ、タイパの良いスポーツで、かつ誰にも迷惑をかけずに一人でコツコツとできるスポーツなのだが、多くの人が走る事を嫌う。
走るのが好きという人は、必ず趣味でジョギングをしている人が多い。
でも、走らない人は、病気しがちで、不健康一直線で、病院通いとストレスの宝庫になっているケースが多いというのも事実である。
うつ病の特効薬はジョギングっていう医者もいるぐらい、脳の活動にも良い影響があるらしいからね。(本当かどうか知らんけど)
とにかく、疲れることを面倒くさいと置き換えがちな人は、走るのはつかれるので、ゆっくり歩きたがる人で、トレーニングができないタイプの人とも言えるかも。
終わりが見えないと面倒くさい?
ゴールが見えないと、物事を初められない人がいる。
いつまで経っても終わらない地獄というのは、確かに心理的に良くない影響を与えることは分かるが、
とてつもなく石橋を叩いてわたるタイプの人は、とにかくその人自身が面倒くさい。
その人は、ゴールが見えないことを面倒くさいと思っているかもしれないが、実は一番面倒くさいのは、その人自身だというのは、周囲の人はみんな気がついているかもね。
そんな時に気がついていないのは当の本人だけというもの笑える話。
楽しいことは面倒くさくない?
他人がなんと言おうと、自分が楽しいことは面倒くさくないというのが人の不思議な心理。
「映画が好き」という話をした時に、スクリーンやテレビを2時間も座って見続けられない、という人もいるし、
「プラモデルが好き」と話すと、色塗りが面倒くさい、細かな組み立てが嫌い、作った後ゴミになるから買わない、という人もいる。
でも、楽しんでいる本人は、少しぐらいしんどい思いをするぐらいがとても楽しいという事をよく理解している。
面倒くさいを楽しめると、人生が豊かになる
何となくだが、面倒くさいを口に出してもいいが、それを毛嫌いする人は、あまり人生を楽しめていないような気がする。
多くの人が、「やりたいことが無い」とか「趣味がない」「楽しい時間があまりない」と言って、毎日がつまらない感覚に陥っているみたいだが、
やっぱりそれは言い換えると、楽しくなる為の思考を持ち合わせていないんだろうな。
人生苦しんで生きている人に、他人が面倒くさいと思ったことを進んでやってみるといいと進めたいけど、無理だろうな・・・
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