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身だしなみがだらしがない、ユゲタです。
エンジニアは、チェック柄のシャツを来たがる生き物なのですが、かくゆう僕もタンスの中に何着か入っていて、そのローテーションで日々過ごしています。
会社員時代は、同僚と全く同じ格好になってしまうために、なるべく来ないようにしていたこうしたチェック柄の服も、自宅オンリー作業になると何の遠慮もなく着ることができるため、めんどくさくない格好になってしまうんですね。
そんな僕の最近のお悩み事項は、あまり人前に出ないために、ひげを剃る頻度が少なかったり、整髪、散髪したりする回数が、独立をして極端に減ってしまったという事で、
気がついたら鼻毛が伸び放題になっていると、嫁に指摘され、鼻毛をカットしたら、部屋のホコリで、くしゃみが止まらないという未来人のような体質になってしまった自分に気が付きました。
このブログは、そんな人生に1ミリも役に立たない内容でお送りします。
鼻毛事情
20ぐらいまで、ヒゲもあまり濃くなく、学生時代はひげ剃りをしなくても問題がなかったのですが、成人してからは、体の色んな部分の毛がどんどん伸び始めて、「めんどくさいなあ」と感じるようになっていたのですが、
自分の場合は特に鼻毛に関しての手入れがとにかくめんどくさく感じてしまっているのですが、他の人(もしかしたら女性の方も)は鼻毛の手入れってどのくらいの頻度で、どういう方法で行っているんでしょうか?
ハサミを鼻に突っ込んで、いろんな方向でカットするのが一般的なやり方だとは思いますが、もしかしたら、お金をかけて、他人にカットしてもらっているという人もいるかもしれません・・・が、自分の世界にはそうした常識がなく、未知の世界です。
鼻毛カッター的なガジェットを過去にも使ったことがあるのですが、きれいにカットできた経験がなく、あまりそうした道具をあてにできないという思い込みも大きく意識しています。
最近では「ブラジリアンワックス」という、テレビの芸人が確実に笑いを取れる道具として使っているのをよくみるアレは、100%鼻毛が除去できるとして、一部で人気があるようですが、
知り合いのお医者さんが、鼻の粘膜や、毛の生え際を傷つけるのでおすすめできないと言っていて、健康面での不安要素があるらしいので、全く使う気になれません。
最もめんどくさいと感じる瞬間は、昨日にちゃんとカットしたと思っていたのに、何故か数センチの長いやつが残っているという事に気がつくときです。
何度カットしても、必ずこうした後ろに潜んでいるヤツが存在するために、その度に敗北感を味わうことになってしまいます。
大人になるということは、子供の頃にはなかったこうした新たなバトルが次から次へと発生するという事だと、改めて認識することができます。
子供の頃になりたかった大人とは?
そもそも、僕が子供の頃に、どういう大人に成りたかったのかと言うと・・・
・・・全く想像できていませんでした。
成りたい職業は、漫画やアニメや映画を見て、その時に感銘を受けたものになりたいと思ったぐらいで、自分の将来を真剣に考えた経験は、ほぼなかったと言ってもいいかもしれません。
高校を卒業するあたりで、何かしらの方向性を選択しなければいけないと思ったので、デザインの方向性を選択したんですが、結果プログラムエンジニアになっている自分は全く想像していませんでしたwww
しかし、同年代が、大学に進学していって、みんなが口をそろえて「将来やりたいことを探している」と、同窓会をする度にいっているのを聞いて、ある程度方向性を決めて進んだ自分が少し優位に立っている事を感じた気がしたんですが、実際のところは、何も深いことを考えておらず、スタートダッシュなどまるで出来ていなかった自分を思い出します。
大人と感じた瞬間
小学校の頃に、自分の父親に厳しくされた経験があるため、あまり人に厳しくするのが嫌だと考えていたのですが、いざその時の親父と同じ年になると、人を厳し目に見てしまうというのは、その年齢になって初めて気がつく感覚というのも、大人の感覚でもありますね。
しかし、実際は、自分として「大人になった!」という実感はあまりなく、小学校の自分よりも年をとっただけで、経験値が増えただけというのが本音かもしれません。
学校の先生や、親や親戚のおじさんなどは、しっかりした大人という認識があったんですが、同じぐらいの歳になった自分が、その人達と同じ大人感覚が味わえていないのは何故なんでしょう?
未だに、鼻毛が伸びたぐらいしか、大人の実感を感じられていない自分としては、しっかりとした自分になるために、何の努力もしていない事に気が付きます。
誰かに承認されて大人になるというわけではなく、自分で勝手に思い込む以外に、大人になる感覚は得られないのではないかともおもってしまいますね。
自分の子供に教えたい大人になるための心構え
実際に、自分にも子供ができて、その子が子供から学生になり、成長して就職する年齢になると、大人になってきたという感覚を覚えますが、自分でも大人になりきれていない部分を考えると、この子もいろいろな葛藤を持って成長してきているのではないかとも考えてしまいます。
今思うと、仕事などでいろいろな辛い経験をした事を考えると、それが大人の世界なんだという認識もできますね。
とある人の書籍で、「人の人生は、死ぬまでの退屈しのぎ」というセリフがあり、なんだか深い言葉のように感じて覚えていますが、死ぬこと前提の人生というのもなんだか寂しいので、この言葉は少し人生に対する悲哀に感じてしまいますね。
個人的には、「死ぬまでに、楽しいことをどれだけたくさんできるかの自己満足」でいいのはないかと考えられますね。
そんな事を考えながら、今日も小さいハサミを片手に、鼻毛を切りながらブログネタを考えている下駄でした。
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