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仕事などで何か作業をするときに、目の前に何かしらの壁が立ちはだかる時があります。
こうした時に、この壁に背を向けてあえて壁に近づかないようにするタイプの人もいれば、うまい具合に壁を遠回りしてよじ登る人もいます。
人によってそれぞれ対応の仕方は違いますが、中には他人の手を借りてその壁を乗り越えようとしたり、根本的に壁など無かったように裏細工をするような姑息な手段を用いる人もいます。
この「壁」は自力で乗り越えた人が初めて見ることができる光景があるという事を知っていると、壁の存在意義を前向きに捉えられるようになるのですが、どうも世の中には、こうした壁を避けて通りたがる人が少なくないのだという事もなんとなく納得できます。
壁はハードル
こうした壁は人生において何度も登場するのですが、人によってその頻度は様々です。
僕の場合、プログラミングも趣味程度にしかやっていなかったのですが、いきなりWEBマーケティングサービスのメイン開発を1名で行わないといけないという仕事に就き、その結果が今の自分の独立した基本スキルとなっているので、こうした大きな壁を乗り越えた先の光景を見ることができました。
自宅で中学、高校、大学に言っている子どもたちが、学校での問題点をよく話してくれます。
話を聞いている時は、理不尽な壁をセットされたような感覚に思えるのですが、最終的にそれを親がなんとかするのではなく、自分で考え、実行して、解決に持っていくという行為が重要なため、なるべく解決方法は口にしないようにするようにしています。
個人的に僕が子供の頃は、両親ともに共働きをしている家庭だったため、あまり話をする時間が無く、目の前にあるハードルをどうしていいか悩んでいた時期もありますが、
他の人には伝わらないかもしれませんが、僕の場合、目の前にハードルがあると、頭から血の気が引き、少し貧血気味になって、それ特有の匂いを感じる事を過去に何度も経験しました。
友達に話すと、「そんな匂いしね〜よ」と笑われるだけだったのですが、その匂いがした時には、何か大きな問題が目の前にあって、逃げることが許されないサインのような感覚を覚えています。
確かにそうした壁に対峙するのは非常に難しいし泣きたくなることもたくさんありますが、その壁を乗り越えられた時の感覚は、何とも言い換えることの出来ない幸せな感覚も同時に覚えています。
適切なハードルと不適切なハードル
こうした人生にとって重要なハードルには、適切なものと不適切なものがあります。
適切かどうかは人によって違うのですが、「無意味なハードル」も数多く存在します。
目の前にあるハードルが無駄かどうか、無駄な場合にその壁には対峙をしなくていいかは、なかなか判断が難しいのですが、
殆どの場合、その壁を乗り越えて初めて気がつくのですが、ようするにどの壁も乗り越えて初めてどういう壁だったのかを知ることになります。
これは人によって、意味が有る、無しの基準が違うので、当然誰かを参考にしても意味がないため、自分が判断する以外にありません。
そして、何度もハードルを超えていくうちに、そのハードルの自分に対する意味が、乗り越える前に見えてくるようになります。
自分にとってのハードルの高さや、それを乗り越える重要性などが見極められるようになることって、人生における非常に重要なスキルなのかもしれませんね。
自己ハードルをセットする方法
人の人生は、
幼少時期には、親から人としての基本ルールを学び、
学生時代には、学問を学び、
社会に出た時には、それぞれの必要なスキルを上げて行きます。
僕も学生時代に、勉強は学生時代だけの苦行だと考えていたのですが、社会人になって、逆に勉強をしたくなる人が多いことにも驚き、自分も学生時代以上に勉強を進んでするようになるとは思ってもいませんでした。
自分で「めんどくさい」と感じたことは、ハードルだと考えると面倒くさいことを乗り越える事がめんどくさくなくなります。
面倒くさいを解決できた先には、その面倒くさいと思ったハードルが自分のスキルになり得ます。
なんとなく毎日がマンネリ化している人や、自分でスキルを上げる限界を感じている人は、
ちょっとした面倒くささから、もっと大きな面倒くさいがありますが、どのレベルの面倒くささも乗り越えた人しか見ることができない風景があるので、是非そうした光景をみる努力をしてみませんか?
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