そろそろ本気でデジタルコンテンツマーケットを考えないと日本の市場が危ないという話

2019年9月19日

ビジネス

テレビCMで面白そうなゲームが放送されていたので、発売前に購入しようと思ってネットを見ていたら、「パッケージ版」と「ダウンロード版」の2つが存在する。 多くの場合、ダウンロード版の方が少し高い値段になっていることに、いささか疑問を抱いてしまうのは僕だけなのかな??? kindleなどであれば、単行本とkindle版で、1割〜2割ほどの値引きがされているため、多少のお得感があるし、本をバッグに入れて持ち歩く必要のないダウンロード版って便利だし、今どきのコンテンツの扱いという認識も存在する。 確かにモノとして手元にある場合に、さらに他人に売れるというメリットはあるが、ダウンロード版は著作権の観点から売ることが出来ない。 そんなセドリの話はどうでもいいのだが、インターネットが普及してパソコンやスマートフォンがこれだけ生活に浸透している中、デジタルコンテンツの扱いがまだまだ未成熟だと思ってしまうのは、こうした値段メリットがどうしても購入者側が感じられないため、企業側も値付けで大きな差を出すことができないのではないだろうか?

デジタルコンテンツの原価について

一般的にデジタルコンテンツというのは、通常のモノの製品と全く違う扱いで、ビジネス的にも優位な点がかなり多い。 そもそも、物販を行う場合、流通と倉庫が必要になり、ここにかなりのコストが掛かってくるのがこれまでの流通マーケティングなのだが、デジタルコンテンツは、パソコンのデータをコピー(送受信)するだけで、受け渡しが完了になるので、実際の製品の受け渡しコストや保管コストは限りなく少なくできます。 また、流通に関しても、問屋から販売店舗まで沢山の人が関わることにより、人件費が少なからず掛かってきます。 また、商品自体もパッケージや梱包などを考えると、そうしたコストも意外と馬鹿にならないはずです。 ゲームソフトで言えば、マニュアルの印刷や、パッケージの印刷など、ここにもコストがかかりますが、デジタルコンテンツは、そうしたコストは一切かからないため、値段が同一という事自体がユーザーとして非常に納得しづらくなってしまいます。

モノとデジタルは違うもの?

企業からすると、モノでの提供とデジタルでの提供は、全く違う製品であると考えているようにも考えられます。 書籍やゲームをモノとして購入した場合、月日が断つと必ずモノは劣化します。 要するに消費期限が存在する製品という考え方ですが、 デジタルコンテンツは、どれだけ年月が経っても、データさえ存在すれば、劣化するという概念はありません。 そのため、モノとしての製品とデジコンとしての製品は、特性の違いから別商品であると考えているのではないでしょうか? しかし、違う製品だからといって、ゲームのパッケージ版とダウンロード版を2つ購入するユーザーは、ほとんどいないでしょう。 書籍においても、作家が手書きで書いた原稿をデジタルに入力し直すような作業が発生すると考えると、そのまま印刷するような書籍でアルバイト比べてデジタイズ化処理に人件費が発生するようなケースが考えられますが、ここ最近の書籍作成の工程において、そんなアナログ作家がどのくらい存在するのかと考えると、おそらく%でも出しにくいぐらいの少数派であることは容易に想像できます。 ゲームも書籍も、デジタルで作ってからパッケージを作っている手間を、デジタルの状態でユーザーに提供できるショートカットできる為、確かに提供するモノ自体は違いますが、コンテンツ内容は同じであると考えるのが普通です。

ゲームのパッケージ版とダウンロード版は何故一体化しないのか?

ユーザー視点で最も便利だと考えるとその市場は驚くほど活性化するのがビジネスにおける鉄則なのですが、ゲーム業界はそうなっていません。 インターネットでゲームをダウンロードしてできる時代に、ダウンロード版のみを販売して、パッケージなども印刷物ではなく、WEBで見たりデジタルで完結するだけでいいというバージョンは、それなりの安値で販売し、パッケージ版を購入した人は、ちゃんとものとして手元に残り、部屋に飾れる優越感も得られます。 ダウンロード版の金額面以外のもう一つのメリットとして、ゲーム機本体にROMをセットする手間が省けるという点がありますが、パッケージ版はこれができません。 中身は同じゲームなのに、ROMを入れ替える作業はもはや昔の作業にも感じられるため、パッケージを購入しても、本体にそのデータを入れてROMの出し入れを無くせられればいいのに、どうしてそんな簡単な事ができないのでしょうか? おそらくは不正コピーに対するセキュリティが完備出来ないために、現状の不憫な状態になっているのでしょう。 これは一時期のテレビ業界のビデオ録画でデジタル放送の核となるデータがパソコンで簡単にコピーできるのは、テレビ業界の主商品であるコンテンツの簡単コピーを促すだけとして、コピーコントロールをビデオメーカーと共にルール決めをして、非常に使いづらいビデオ状態になっている歴史と同じ経路を辿っている気がします。 ゲームのハートメーカーもそんなに沢山存在するわけではなく、それぞれの会社で独自に構築しているのだから、ユーザーに不憫をかけないコピーコントロールもきちんと開発すべきだと考えるのも僕のわがままなのでしょうか? まあ、こうした事が出来ないために、手軽で便利なスマホゲームにユーザーを奪われて衰退しかけてしまうんでしょうけど・・・

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