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器用貧乏の、ユゲタです。
「若い頃の苦労は勝手でもせよ」という言葉は、耳タコの若年者には、届かないと思いますが、自分も学校を卒業して上京したての時には、そんな事はお構いなしだった事を思い出しますが、
アルバイトやジャンルの違う知人との色々な社会経験をしてきて、「あの時やっておいてよかった」という事をたくさん感じられるようになりました。
中学校のときに、ゲームを購入するお金がないので、雑誌を買って一生懸命わけの分からないプログラムを入力して、それを自分なりに改造して遊んでいたのも、今のプログラミングの貴重なベースになっていることを考えると、苦労が実ったと考えても良いかもしれませんね。
そんな苦労はできればしたくないというのが、人の本音ですが、あとで役に立つ苦労はやっておいたほうがいいという事は否めません。
今回は、そんな「苦労」に関する事を考えてみたいと思います。
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未来が約束されている苦労
学校での勉強や、将来仕事で役立つための修行は、必ず自分の将来のためにやっておいたほうがいい内容なので、どんなにしんどいことでもやっておく価値はあることは分かりますが、
雑魚扱いされる肉体労働系のアルバイトや、単純作業を永遠繰り返すベルトコンベア的な作業は、将来役に立つポイントが見つけにくく、そうした事は、モチベーションも上がりません。
でも、肉体労働を一生懸命していたおかげで、将来的に体調不良が少なくなったり、ひたすら入力だけをするパンチャー作業なども、パソコンのタイピングが人並み以上に得意になるなど、
苦労が、自分の特技などに変わる場合も数多くあります。
大体の場合、未来は予測できないモノなので、自分の予測する未来の利益だけ追うタイプの人は、器の小さな人間が形成されるという事が理解できます。
そもそも、苦労をする事に対して将来の益を追求する思考事態が間違っているのかもしれませんね。
苦労の質と量
苦労は、実際に行っている際のしんどい状況の時は、辛い印象しかないですが、結果的に自分の役に立った際に、「あの時苦労しておいてよかった」という質のいい苦労に変わります。
要するに、苦労事態は、何もいい事などなく、将来その苦労が役に立つかどうかがポイントという事がわかれば、将来を見据えた苦労を自分なりに選別してするということよりも、手当たり次第に苦労した方が、将来役に立つ事柄も多数増えることは、確率論的に正しいと思われます。
ビジネスの法則も5%の法則というのがあり、20個ぐらいサービスを作り出せば、1つは当たりが出るという確率論ですが、苦労も似たような特性がある感じがしますね。
苦労をするには、質も大事ですが、量もとても大事という事が理解できたかと思います。
全ての苦労は過去の美談
人一倍、しんどい苦労をした経験をした人は、将来自分の子供や、後輩、部下、初めてあった人に対して、武勇伝として苦労話を語るようになります。
そんな苦労話は、聞く人に対してココロを揺さぶる事が可能になるリアルなエピソードとして、ものすごく強い武器にもなりえる経験談です。
そうして考えると、苦労した話は、5%どころか、100%将来自分の為になると考えてもいいかもしれませんね。
そう考えると、将来恩恵のあるシンドイ作業も、モチベーションをアップさせることができるかも・・・
あ〜〜でも、あの先日以来の来た、あの会社のwebサイト構築、めんどくさそうだな〜〜〜。断ろうかな〜〜。
なんて考えている自分が恥ずかしくなりました。
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