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便利なパソコンを不便に使っている人を見ると、放っておけない、下駄です。
最近書籍をタブレットやスマートフォンで読んでいますが、もはや自宅に雑誌の山ができることがなく、非常に快適になっているんですが、「やはり書籍は本で読むのが一番」と言いながら部屋の中が、本の山になっている友達を見ると、不便だな〜と思うんですが、その友達はその本の山が不便だとは思っていないのだそうです。
確かに書籍をペラペラめくりながらよく効率性は理解できているんですが、デジタル書籍はそれにも増して検索できたり、一度に何十冊も持ち運べたりするメリットも大きく、この狭い日本で膨大なスペースを確保してしまう環境から脱せられたことは非常に便利に感じてしまいます。
ちなみに、その友達は、デジタル書籍は読んだことがないのだそうですが、全くの食わず嫌いということなんですね。
不便を知らずに使っている人
携帯電話を知らない時は、ポケベルって便利だと思ってたのに、携帯電話を使うとポケベルの不便さがよくわかりました。
同じように、スマートフォンを使う前は、携帯電話が究極便利だと思っていたのに、もはやガラケーで暮らしていける自身がありません。
このように、不便は便利を知って初めて理解できるんですね。
このような明確な技術進歩は、古い方を不便に感じる事がほとんどですが、普段自分が行っている行動にもたくあんの不便があり、それを見つけられないと、不便さを感じる事なく、ずっと過ごしているという状況になります。
これは他の人が便利にしている姿を見て、それに気がつく人、友達などから教えてもらって気がつく人もいれば、なかなか便利のイメージができずに不便を続けてしまう人もいて、その差は自分の将来に大きく差が生まれてしまうという事に気が付かない人も少なくないようです。
一度便利を知ってしまうと戻れない人間
そして面白いことに、一度知ってしまった「便利」から「不便」に戻ることは、人として許されません。
もはや日本国内で、ウォシュレットの便利さを知ってしまった今どきの日本人は、海外旅行に行った時に、トイレが不便で仕方がないはずです。
使っているパソコンやスマホなども、その機種特有の便利さが気に入っているため、なかなかその機能が無い他の機種には変更しづらいともこのためなんですね。
便利の代名詞と言ってもいいかもしれない「コンビニ」が無くなると、生活が困難になるという人も多い事も容易に想像できるので、便利が当たり前になると、人は進化して不便だった時の状態はもはやあり得なくなってしまうんですね。
便利を追求していく効率アップがオススメ
そんな「便利」をより多く知っている人は、「不便」をより多く感じる事ができる考えると、自分の人生がどんどん便利になっていく感覚はわかりますが、その人が「不便」すら感じない人を見ると、おせっかい的に不便を教えてあげようとしてしまいます。
ここで注意しなければいけないのは、「不便」を知らずに、教えられると、まあまあな割合で人は反発し怒って来ることがあるという事なんですね。
こっちは親切に教えてあげているのに、「今の自分で満足しているからいらんこと言ってくれるな!」と言わんばかりに反発されることも多いので、正直あまり人に「便利」を押し売りしない方が良いということも、これまでの経験から理解できてきました。
そういや、プログラミングって便利だな〜って中学校の時に思っていて、個人的に救われた人生でした。
プログラミングを人に進めても、基本的に誰もやろうとはしませんけどね・・・
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