この所ウォーキング・デッドばかり見ていて気分が海外になっていたんですが、とある秋の日の夜に何だかなつけなくてAmazonプライムビデオを漁って、流し見していた時のこと・・・
「最近追加されたビデオ」をぼけ〜っと眺めてみている事がまあまあ楽しいんですが、普段であればそこに邦画映画があっても見向きもしないのですが、毎日大好きで聞いている「
大阪人の一般人によるPODCAST(だげなじかん)」で、とある邦画の評論をしていたのを最近聞いて、そのタイトルである「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」が目にとまりました。
ラブコメ映画っぽい見た目と雰囲気とキャストで、アクションやSF好きの自分にとっては秋の夜に見るべき映画ではないという感覚だったのだが、眠りにつくまでのつなぎ映画として流し見するつもりが、ビックリするほどハマってしまい、評論を書かずにはいられなくなったのでブログに残しておきたいと思います。
ちなみに、この映画が上映されて1年以上経っているので、ネタバレ記事になるため、まだ見ていない人は映画を見てから記事を見たほうがいいかもしれません。
僕はポッドキャストの番組でネタバレを聞いてから見たんですが、全然楽しめましたけど・・・
映画紹介(ネタバレ)
美大に通っていて、デザイナーを目指す南山高寿(たかとし)は、ある日通学する電車の中で福寿愛美(えみ)に一目惚れする。
一世一代の一目惚れ告白に涙するえみに、たかとしは不思議な感覚を覚えるが、次の日に動物園で絵を描いていた時に、えみと出会う。
運命っぽい出会いに感じたが、昨日その動物園に行ってスケッチする事を言っていたらしいのだが、そういった事すら忘れていたのだが、えみに出会えた嬉しさからそんな事はどーでも良くなったが、
その絵が教室に飾られるという事を言ったえみに、たかとしはまたも不思議な感覚を覚えた。
初めて手をつなぎ、はじめてきちんと告白をして、トントン拍子にうまくいき順風満帆のように思えたが、ある時たかとしは、えみが忘れていった手帳を部屋で見つける。
いつも、起きた出来事をメモしていたことを思い出し中を覗き見た所、未来の日付の事が書かれていた。
これまでも不思議に感じていたえみへの感情が復活してきた。
そして、丁度かかってきたえみからの電話で、えみは「たかとしに隠している事がある」という事を聞く。
えみは、別の世界(次元)から来た人間で、たかとしのいる世界と時間の流れが逆で、次の日になると明日になるのが、次の日が昨日になる世界なのだという・・・
よくわからないたかとしは、えみの過去の行動を思い出す。
初めてデートした時に起きた出来事をえみが覚えておらずまるで記憶にないようなセリフと、将来起きることを的確に予測できていた事を考えると、それが事実であることを理解する。
そして、たかとしは、恋人同士がお互いに思い出を共有できないという事実に嫌気がさし、えみを責めるように怒ってしまう。
昨日、えみが泣いていたのはこの事が原因と言うことは後で気がつくのだが・・・
たかとしが5歳の頃に池で溺れて死にかけたのを助けたのが35歳のえみである事を知ると同時に、自分が35歳に5歳のえみを神社のおまつりの爆発から救うという予言に、かなりの違和感を感じていたのだが、実はえみも自分と同じ境遇で心境であることに気が付き、自分がしっかりとえみをエスコートしなければいけないという事を悟る。
1ヶ月という短い期間しか一緒にいられない(その後は5年毎しか会えない)為、残りの日数を苦しみながらえみの事を考えて行動するたかとし。
最後の日にえみにこの1ヶ月の事を詳しく話し、手帳にメモをとるえみをみて、たかとしはそのメモどおりに行動する事の本当の意味を知ることになる。
スタッフ・キャスト
原作 | 七月隆文 |
監督 | 三木孝浩 |
脚本 | 吉田智子 |
南山高寿 | 福士蒼汰 |
福寿愛美 | 小松菜奈 |
上山正一 | 東出昌大 |
評価
★★★★★
何気なく見た映画だったのに、思いの外満点を付けてしまいました。
見終わった後、泣かないやつがいるのか不思議なぐらいだったのだが、一人で見ていてよかったという安心感もあり、作品に入り込めた分感動も大きかったのだと思う。
正直言ってこの映画は恋愛映画というレベルではなく、SF映画であるといってもいいぐらいの設定クオリティで、評価のポイントはその点が非常に多く占めています。
設定で言うと少し強引なSFになっているのだが、この映画の設定を聞いて「ベンジャミン・バトン」を思い出す人も多いと思うが、時間とともに体が若返るという事とは全く違い、寝て起きたら明日になるという当たり前の事が、ある次元の人は寝て起きたら前の日に過ぎ去っていくという事(すこし分かりにくいですが、それ以上の説明がなかったので・・・)。
この映画一番のポイントは、たかとしとえみが、初めて会ったというタイミングがお互いに全く逆になっているという点です。
たかとしにとって、えみと初めて会ったのは、電車の中で一目惚れしたタイミングだったのだが、えみは、たかとしが最終日に美術室でモデルをしてもらう時に教室に入ったタイミングなのである。
そして、たかとしにとって、はじめて手を握ったのはえみにとって最後に手を握ったという事実、初めて告白したのは最後の告白になるという事をしると鳥肌が立つ。
映画の最後にえみ視点での時間軸でダイジェストのように流れる映像が、想像をしていても非常に恋愛としては酷な状態で、あの笑顔をみせていたえみに感動しない人などいないのではないかと考えてしまいます。
ツッコミどころポイント
良い良いずくしの映画だけではなく、SF部分の設定の甘さをちゃんとすれば、もっとリアリティの高い映画になったのに・・・という事を自分なりに考えてみました。
まず、寝て起きたら昨日になるという設定は、確かにパラレルワールドとしては存在するのかもしれないが、5年に一度30日間だけ共有することができるという設定がどうしても納得感が生まれにくい説明不足な点がある。
ドラえもんであれば、「もしもボックス」のような道具をかますことで、有り得ない設定でも、見ている人の納得感があるが、この映画の場合は、かなりのリアリティが求められることは間違いない。
この場合勘違いしては行けないのは、たかとしが普通でえみが異常な世界から来たというわけではなく、えみの世界も当たり前で普通な感覚にならなければいけない。
寝て起きたら日付がマイナスになるという事は、暦の在り方が逆になっていればあり得た現実なのだが、この映画の設定における疑問は、この二人が24時間以上一緒にいたとしたら、髪を切ったはずのたかとしが、度のタイミングから伸びるのかが想像出来ないポイントである。
もっと言ってしまえば、1日の時間の流れは同じで数字も昇順的に進んでいるにも関わらず、日付だけが降順になり、かつ同じ時間軸で進んでいる人に対して自分だけが時間を逆走した(1日タイムスリップしてしまう)状況がどうしても受け入れがたい人もいるだろう。
同じ環境であれば、同じ時間進行にならないといけないので、この点をちゃんと納得できる説明と映像にできていれば、かなりのリアリティが生まれてこの作品のクオリティアップに繋がったんだと思う。
あと、20歳の福士蒼汰と、35歳の福士蒼汰は、ほとんど変わっていないのも、「リアリティおしい!!!」と考えてしまったのは僕だけでしょうか??
参考サイト
wikipedia「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」
wikipedia「ベンジャミン・バトン」
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