ネタバレって、なぜ嫌がられるのだろうか?

2019/10/30

日記

t f B! P L
寝る前にスマートフォンを見るのが、脳にあまりよろしくないという事をテレビや情報誌などで散々言っていたので、AmazonPrimeをプロジェクターで見るようにしています。 そして、面白いドラマや映画を見てしまうと、興奮してしまい、逆に寝られなくなることに今更気がついた、ユゲタです。 ブルーライトだけの問題じゃなかったんですね・・・

人類誰もが映画好き

そんな映画好きの僕ですが、実は最近気がついたのは、「映画が嫌い」という人にこれまで出会ったことが無いという事です。 「嫌いな映画」や「苦手な映画」というのは、誰しもが持っているかと思いますが、「そもそも映画というモノが嫌い」という人にこれまで出会ったことがありません。 娯楽としての映画は、テレビよりも歴史が古く、そもそも映像を映写機で見るという事が世の中の始まりだと考えると、今どきの主流で考えられるテレビに方が歴史が新しいんですね。 そして今では毎年数多く制作されている映画作品は、年々、映像や音のクオリティも増し、趣向や方向性などがあまざまなバリエーションがどんどんと生み出されていて、まさにエンターテイメントとしては最高峰と言ってもいいかもしれません。 そして誰もが「自分の一番好きな映画」という作品を持っていて、DVDやブルーレイで、いつでも見ることができ、スマートフォンでどこでも見ることができる時代にもなっていることを考えると、映画を観るという行為が、映画館に行かなくてもかなり簡易にできる事がわかります。 いい時代ですよね・・・

ネタバレは禁句?

映画を観た後で、自分以外の人はどういう感想を持ったのかが非常に気になる作品があった場合、SNSなどで映画の評論コメントを見ることがありますが、他の人が違った観点で観ていた感想を見ると、もう一回見直したくなる事があります。 もちろん一度観ているので、そこにネタバレが書かれていても全く気にはならないのですが、基本的に映画の感想でネタバレを書くことを禁止している評価サイトが多いという一般的な隠れたルールもあります。 もちろん、まだその映画を観ていない人にとって、映画のオチを見る前から知ってしまうと言うことは映画を観る価値が落ちてしまうということで、そのオチを映画で初体験するという貴重な経験を奪ってしまうということから、ネタバレは禁句とばかりにぼやかしている事が多いようです。 もちろん、評論文章の前に「ネタバレ有り」と書かれていて、注意喚起を促している親切なケースもありますが、そもそもネタバレという言葉は、映画を観ていない人限定の言葉であって、一度映画を観た人は「ネタバレ」など関係がなくなる、不思議な感覚でもあるということに気が付きます。 これはあまり他人から共感されうことがない僕の個人的な感覚ですが、僕は映画を初めて見るよりも前にネタバレ感想を見る事がイヤではありません。 観る前に、映画のポイントを抑えてそのオチに向かっていくプロセスを二度目に観ているかのような感覚で見ることができるので、作品としての構成を勉強できる感覚と、クライマックスまでの心構えができて、映画を安心して楽しめるという感覚から、ネタバレに関しては非常にありがたく事前に見るコンテンツとさせてもらっています。 ネタバレに対して頑なに拒否をする人の気持もわからなくもないですが、人生終わりのような感じで拒絶している人って、なんか話しずらくて、かなわんな〜という風に個人的に感じてしまいます。

映画を酷評する人の特徴

映画評論は僕もこのブログで散々やっていて、酷評も数多くしてきましたが、基本的にどんなに面白くないと思える映画作品でも、結構な制作費を掛けて、クリエイティブされている事を考えると、見方を変えることで面白いポイントが存在するという事もたまに気がつくことがあります。 大学生などが、学祭やサークルで、簡易に作った作品で、内輪ネタ満載な作品などは、その人達を全く知らない人が見ると、「なにこれ?」というシラケモード全開になる事はいたしかたありません。 内輪ネタは基本的に内輪にしかウケないという事は、プロでないとわからないのかもしれませんが、この点をうまく利用しているエンディグロールの「NG集」などは、高感度が上がることも多く、この辺も含めて「作品のセンス」と言ってもいいかもしれませんね。 でも、映画って観終わって、まず「おもしろい」か「おもしろくない」かの2択で考えて、「何がおもしろかったか」「何が面白くなかったか」を他人と共有したがる気持ちも痛いほどよく分かります。 面白かった作品は、まだそれを観ていない人に対して「是非、こういうポイントで観てほしい」という感じで、 面白くなかった作品に関しては、「どういう感じで自分の肌に合わなかったのか・・・」という事を他人と比較したいと考えてしまいます。 でも、ここに映画を趣味で数多く観るというジャンルの人で、基本的に酷評をする事で自分の価値を上げたがる人の評価を見た時に、それを見た自分が非常に残念な気分になってしまうことがあります。 どういうことかと言うと、自分は非常に面白かったのに、思いも寄らない別の理由で、「つまらない」とか書かれていると、面白かった気分が一気に冷めてしまうという事が結構あるからですね。 基本的に、どの作品にも「おもしろポイント」があり、それをいかに見つけられるかがエンターテイメントの楽しみ方だと思うんですが、一方的に自分の環境を前提に「おもしろくない」という評価を下してしまう人は、いささか評論に信憑性を感じられなくなるんですね。 僕なりの評論を見るポイントとして、けなしてばかりの評論ではなく、「褒めてけなす」「または、けなして褒める」という人の意見は非常に参考になるけど、「けなしてばかりの評論」は見方が偏っているというふうに捉えられます。 実際に、星数の少ない映画を自分は面白く見られた場合に、なんだか優越感を感じてしまうのは、こうした思考があるからかもしれません。 でも、映画を見る時にこれを意識していると非常に楽しめますよ。オススメです。

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