
全然、究極の選択でも何でもない「やりたい事」と「やりたくない事」って、天秤にかけるまでもなく、
やりたくない事なんて、やる必要がないと考えている人がほとんどですよね。
やりたい事があるんだったら、そっちを優先した方がいいに決まっている・・・
本当にそう?
もしかしたらその思考自体が間違っているとしたら、あなたならどう思います?
若いうちに自分でこのことに気がついていればよかったのに!という事をブログにまとめておきたいと思います。
やりたい事ばかり優先するとどうなる?
自分がやりたい事って、それは得意な事であり、自分にとって簡単な事なんですよ。
趣味や嗜好が強い人は、他人と違う少し変わった思考になる場合はありますが、
多くの人は、他人が好きなものは自分も好きという錯覚を抱きます。
そして、他の人がやっている事は、安心してできる事として、
他人がやりたくない事は自分もやりたくないという思考になりがちです。
その結果、「視野が狭い人間」になる可能性が高くなるんですよね。
ココでのキーポイントは、
自己成長です。
好きなこと、得意なことばかりやっている人は、その分野で成長できても、他の分野がまるでダメな、単一職人系の人間になってしまいます。
別にグループや組織でそれぞれの得意を補っていけばいいと考えてもいいのですが、
たまに見る人として抜けている人などは、視野が狭すぎて周囲の人から
あまり近寄りたくないと思われてしまいますからね。
そして、そもそもやりたい事だけを選択しがちな人は、短期的にはいいですが、長期的に見るとその物事に飽きやすいという性質もあります。
都度やりたい事が変わって、全然一つのことを極めるみたいなところまで行かない事が多いでしょう。
職人的に一生それをやり続けるぐらいの尖った思考であれば、これはこれで自分にとっても幸せなのかもしれませんけどね。
やりたくない事は苦手な事?
やりたくない事って、苦手な事の場合が多いのと、過去に大きな失敗をしたとか、
そもそも、何をどうしたらいいのかわからないという、
作業食わず嫌いの場合がほとんどです。
こうして、自分がその作業をできるイメージを持てないことを、「苦手」というよりも「やりたくない」という言葉にしてしまう思考こそ、
「逃げる思考」なんですよ。
子供って、本能的にこの嗜好が強いんですが、大人になってもこの稚拙な嗜好が抜けなていない蒙古斑的嗜好な人って結構いるんですよね。
こうした人は、他人から見下されたり、陰口を叩かれる傾向もあり、
会社の上司や役員などがこのタイプだった場合、部下は非常に苦労するし、誰もそんな人を助けたいとか、尊敬したりすることはないでしょうね。
でも、逆に「やりたくない事が自分にとって苦手な事」という事を認識した時に、
そのやりたくない事が、自分にとって苦手でなくなったとしたら、将来的に自分が得をするかもしれないと思ったら、
すこしぐらいやってみたくなりませんか?
重要なのはこの、「将来的に自分の役に立つかどうか」という事がイメージできるかどうかなんですよね。
多くの人が短絡的に、「難しそうだから」と逃げている事に対して、果敢にチャレンジできる人(しかも若い人)は、
間違いなく将来的に他人から尊敬される存在になることでしょうね。
頑張ることは我慢することではない
多くの人が間違えていることとして、「しんどいことは我慢してでもやる事に意義がある」という思い込みがあります。
「頑張っている自分が好き」とか、「汗水垂らしてそれを乗り越えた達成感がたまらない」、みたいなことは好きに考えてもらってもいいんですが、
実際に意味のない作業やタスクって山のようにあります。
独りよがり的な思考と言われても、それらの無駄な事に対して、「やりたくない」と言い切ることは、もしかしたら悪いことではないかもですね。
でも、自分がその作業をやらなければ、他の人がその罰ゲームのような作業をやる羽目になるのであれば、ボランティア的に自分がやるというストーリーは、
なかなか自己意識が高い人の思考とも言えます。
ここで重要なのは、無駄にがむしゃらに頑張るのではなく、何かしら頑張る事に対する理由を自分で認識する事が、その後に自分にとってのプラスになる要素になるはずです。
目標思考のタスク管理
目の前の作業を、「やりたい」「やりたくない」という、単に二択で考えるだけではなく、その前に目標というゴールを見据えてみるといいケースが多いです。
誰かから言われた作業であれば、目標はその人から聞けばいいんですが、
自分で考えた作業で趣味的に活動する時に、目標って結構見失いがちになるし、ブレブレにブレまくる可能性も高いです。
別に目標はブレてもズレてもいいんですが、できれば1つのタスクとして一旦は決めたゴールまで突き進むというのは悪い思考ではないですよ。
残念に思うのは、ゴールが変わりまくって、ひとつもゴールを達成できないという結果です。
ひとつ目標を明確に決めたのであれば、その目標を達成するタスクをしっかりと作ってそれらを一つ一つこなすというスケジュール管理が、
実は自分の将来的な安定に繋がります。
そのひとつずつのタスクが、やりたくない事であっても、やらざるを得ないので、「やりたくない」なんて言っていると、一つもゴールできない人に成り下がってしまいます。
自分の将来像をイメージする妄想力
やりたい事が無いという人も世の中的に多いと聞きますが、
同じぐらいやりたくない事がある人も多いんじゃないでしょうか?
やらされてる感満載の会社に勤めている人や、
やらざるを得ない地獄の環境での作業などは、自分の事を悲劇のヒロイン的にみているかもしれませんが、
それらは将来何かしら自分の糧になることは間違い無いんですよね。
それが笑い話になるかもしれないし、その後何かをやるタイミングでその経験が生きてくる事も、必ずと言っていいほどあります。
人生って不思議で面白いですよね。
自分の「やりたくない事」って、その先にある未来像が想像できたら、もしかしたら「やりたい事」(やってみたい事)に変わる可能性もあるかもですよ。
苦手な事が、得意な事に変わった場合に人間は、できない事ができるようになるわけです。
それって、人として180度違った生き方ができるし、視野もメタクソ広がりまくるわけです。
そう考えると、何かに対して「やりたくない」と言ってやっていない人って、想像力の乏しい人という風に考えてもいいかもしれませんね。
あとがき
今回行っている「やりたい事」と「やりたくない事」って、自分的にどんなことでしょう?
自慢っぽく聞こえるかもしれませんが、個人的にボクはやりたくない事って、あんまりないんですよね。
会社を起業して、自分でなんでもやらざるを得ない環境に身を置いてしまったので、
やらないという選択肢はそもそも何一つないんですよね。
もちろん、経理作業など、やるのがめんどっくさいな〜と毎回考えてしまう作業は、「やりたくない事」なのかもしれませんが、
毎月、なんとかこなしていて、これももう少し改善したいな〜と自分の将来像を見据えていたりもします。
いい将来像を期待するだけじゃなく、最悪の将来像を回避するための未来イメージも重要なので、
やりたくない事から逃げてばかりの人がいたら、「そうじゃないんだよ」と言ってあげたい(けど、おせっかいなので黙って見ていると思うけど)。
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